『二所大神宮麗気記』 読み下し文・現代語訳・解説 まとめ

神道・神仏習合

「二所大神宮麗気記」は『麗気記』十八巻の冒頭です。

神変大菩薩(役小角)の説

【読み下し文】二所大神宮麗気記

蓋し以れば、去んじ白鳳年中に、金剛宝山に攀上りて、宝喜蔵王如来の三世常恒の説を聞けば

 

【現代語訳】二所大神宮麗気記

さて思いめぐらすに、去る白鳳年中に金剛宝山によじ登り、宝喜蔵王如来の三世常恒の説を聞いた

役小角(えんのおづの・634-701)は修験道の曩祖(のうそ)であり、役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)とも呼ばれ、諡号は神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)です。

役行者

『続日本紀』には、“役君小角、伊豆島に流さる。初め小角、葛城山に住し呪術を以て称さる”、また、“小角能く鬼神を役使し、水を汲み薪を採せ、若し命を用ひざれば即ち呪を以て之を縛す”とあります。

『日本霊異記』の「孔雀王の咒法を修持し、異しき験力を得て、現に仙と作りて天に飛ぶ縁 第二十八」には、“役優婆塞は、賀茂役公(かものえのきみ)、今の高賀茂朝臣(たかかものあそん)といふ者なり。大和国葛木上郡茅原(ちはら)村の人なり。生(うまれながら)知り博学一なり。三宝を仰ぎ信(う)けて業とす。毎(つね)に庶(ねが)はくは、五色の雲に挂(かか)りて、仲虚(なかぞら)の外に飛び、仙宮の賓と携り、億載(おくさい)の庭に遊び、蘂蓋(すいがい)の苑に臥伏(ふ)し、養性(ようじょう)の気を吸ひ、くらふことをねがふ。
所以(ゆえ)に晩年四十余歳を以て、更に巌窟に居り、葛を被、松を飲み、清水の泉を沐み、欲界の垢を濯ぎ、孔雀の咒法を修習し、奇異の験術を證し得たり。鬼神を駆使得ること自在なり”と記されています。

「白鳳年中」というのは「西暦645年から710年」のことです。

「金剛宝山」とは、奈良と大阪の境に位置する修験道の聖地「葛城山」のことです。

「宝喜蔵王如来」とは、神変大菩薩・役行者(えんのぎょうじゃ)が、奈良の山上ヶ岳において感得された「蔵王権現」のことです。

金峯山寺蔵王堂の蔵王権現

三世とは「過去」「現在」「未来」であり、常恒とは、常に変化しないということです。

 

このあと、蔵王権現の言葉が連なるのですが、蔵王権現の言葉のあとに「是、役塞行者の説也」とあります。

つまり、「645年から710年の間に、葛城山において、役行者が蔵王権現から、いつの時代においても変化することのない真理を聞いた」ということです。

【読み下し文】「一(むかし)、威音王如来より以降、十(いま)、我等に及びて、天照皇太神(おまてらすへおんかみ)の御寓勅(あめのしたしろしめすみことのり)を周(めくら)したまふ。

『周遍法界(ほうかい)の仏土は、達磨(だるま)を以て本師と為(な)す。

一大三千世界の間は、神を以て主と為(な)す』」と。

 

 

【現代訳】「威音王如来のおられた昔から、現在の我々に至るまで、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)の御神勅は遍満している。

『大日如来の功徳があらゆる存在に行き渡る仏国土においては仏法を根本の師とし、仏以外の衆生の住む世界では神を主とする』」

周遍法界とは、法身仏の大日如来の功徳があらゆる存在に行き渡ることを意味します。

達磨とは、梵語の「ダルマ」の音訳であり、ここで前後の文脈から意訳すれば「仏法」です。

【読み下し文】是(これ)、役塞行者(えんのそくぎょうじゃ)の説也。

 

【現代語訳】これは役行者の説である。

役塞行者とありますが、役行者は「役の優婆塞(えんのうばそく)」とも呼ばれます。

役行者のことが知りたければ、図説 役行者―修験道と役行者絵巻 (ふくろうの本)がおすすめです。

よくありがちな伝承の中から史実だけを取り出そうとした味気ない人物評とはちがい、この絵巻には神変さんが活き活きと描かれています。

 

弘法大師・空海のことば

【読み下し文】空海言はく、「如来の三密を留めて衆生を利す。経巻を留むは如来の語密なり。舎利(しゃり)を余(のこ)すは如来の身密なり。神明を現ずるは如来の意密也」

 

【現代語訳】空海が言う。「如来は涅槃に入ったが、娑婆世界に三密を遺して衆生を利益している。経典を遺したのは如来の口密である。仏舎利を遺したのは如来の身密である。神が現れているのは如来の意密である」

人の行為には「三業」といって「身体のおこない(身業)」「口のおこない(口業=語業)」「心のおこない(意業)」の三種類ありますが、如来の三種類のはたらきは凡夫には計り知れないため、「三密」、すなわち「身密」「口密(語密)」「意密」と呼ばれます。

この世界に経典と仏舎利と神がおられるのは如来のはたらきに他ならない。

 

昔は高いのしかなかったのですが、
今は御大師様の論書が安く読めるようになりました。
空海コレクション 1 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

 

 

日本国の大日如来

【読み下し文】所以何(ゆえいかん)となれば、仏日、西天に隠ると雖も、達磨を東土に弘めて、諸仏の機を得て三身を顕はす。

 

【現代語訳】それはどうゆうことかというと、太陽のような如来は西方の天竺にお隠れになったけれども、

仏法が東方の日本に広まったのに伴って、諸仏は機に応じて三身を顕わした。

【読み下し文】神明は、仁(ひと)に於いて利生を現(ほとこ)す。故に普門法界(ふもんほうかい)、昔、空劫の先に空劫を輿し、所化の間に無相を以て神体と為す。九山八海の中には日月を以て指南と為す。

 

【現代語訳】神は人々に利生を施すのである。それ故に、大日如来は、昔、空劫の先に空劫を輿し、

現象世界には形象を離れた神体として顕現する。

また、この須弥山世界においては、日と月となって導いているのである。

「空劫」とは、宇宙の大きな生滅のサイクルを四つに分類した「四劫」の一つです。

四劫とは、

「成劫(じょうごう)」=宇宙が生成する期間

「住劫(じゅうごう)」=生成された宇宙が維持される期間

「壊劫(えごう)」=宇宙が破壊されていく期間

「空劫(くうごう)」=破壊され尽くされて何もない期間

 

【本文】の「空劫の先に空劫を輿し」を

☚こちらの本では

「生成から崩壊への過程を繰り返すこの世界を超えた空劫の世界を生み出し」と

訳されています。

 

しかし、

➀空劫の先の空劫が四劫を超えているのか?

➁空劫の先の空劫は生み出されるのか?

という疑問が残ります。

➁については、

「興し」と「生み出し」とは少しニュアンスもちがうような気がします。

 

☚こちらの「空劫の先に空劫を輿し」の註釈を見ますと

『日本書紀巻第一聞書』の一節を挙げ、

「天地開闢神話を受け、神々が生成される以前における混沌の状態を重ね合わせている。」

とあります。この本は少し高いですが、註釈もすばらしいです。

 

結局、

この宇宙が「破壊され尽くされて何もない期間」の先に

「破壊され尽くされて何もない期間」を興すというのを

どう訳せばいいのか考えましたが、ぴったりの言葉が見つからず、

【訳】では、そのまま「空劫の先に空劫を輿し」としました。

 

【読み下し文】仏法人法の主は虚無神を以て尊皇(みことのみおや)と為す。是を大元尊神と名ずく。
葦原中国(あしはらなかつくに)の心王如来也。

 

【現代語訳】仏法と人法の主は虚無神を最高の尊格とした。これを大元尊神という。

日本国の心王如来である。

葦原中国(あしはらなかつくに)は日本国の別名。

心王如来とは大日如来のことです。

弘法大師・空海の言葉に

「遮那は中央に座す 遮那は阿誰の号ぞ 本是れ我が心王なり『遍照発揮性霊集』」

遮那とは大毘盧遮那仏、すなわち大日如来のことです。

大日如来とは心王の名であるというのです。

 

 

良書です。
少し高いですが、何度も読み返す本だと思います。
校註解説・現代語訳 麗気記〈1〉 (大正大学綜合仏教研究所叢書)

 

 

 

 

 

日本の国土は阿字の命点であり独鈷杵であるという説

ここで日本の国土の形状が、阿字の命点であり、かつ、独鈷杵と同じ形をしているという秘密が明かされます。

【読み下し文】阿字の原は、ア字の一点也。

 

【現代語訳】阿字の原とは、ア字の一点のことである。

「阿字の原」とは、葦原(あしはら)のことで、日本の別名・「葦原中国(あしはらのなかつくに)」です。

日本=葦原中国=阿字の原というわけです。

阿字とは梵字の

です。

 

梵字を書くときは必ず最初に点を打ちます。

その点を「命点(みょうてん)」といいます。

下図は阿字の書き方です。

下図は『梵字でみる密教』からの引用です。

 

 

筆順1が命点です。

命点を打ったあと、そのまま筆を離さずに運筆しますので、書き終わると文字の一部になり、命点は点としては見えなくなります。

「阿字の原は、ア字の一点也」とは、日本の国土は梵字ア字のの命点であるということです。

 

【読み下し文】阿字は五点なり。阿伊宇翳唵の一也。

 

【現代語訳】阿字は五点である。アイウエオの一である。

『聞書』に、「五点。発心・修行・菩提・涅槃・究竟也」とあるので、

 

 

 

こちらの註釈に、正しくは「阿字五転」というと記してあります。
阿字五転とは下の梵字五字

ア(発心)アー(修行)アン(菩提)アク(涅槃)アーク(究竟)です。

また、アはアイウエオの一字です。

 

【読み下し文】其の形、杵(ほこ)の如し。仏法中の金剛杵は、独股金剛也。大日本国は此の名也。

 

【現代語訳】その形は杵のようである。
仏教の金剛杵のうちの独鈷杵である。
大日本国はこの独鈷杵の呼び名である。

 

 

独鈷杵

 

 

 

日本の国土は独鈷杵の形をしているというのです。

学生の時、この本の著者である児玉先生から梵字を教えていただきました。
この本はその時の教科書でもあります。

 

 

 

 

 

 

 

『梵字必携―書写と解読』も教科書でしたが、『梵字でみる密教』の方が梵字初心者には読みやすいし、おもしろいです。

 

 

日本の国土=大日如来の仏身説

 

【読み下し文】独股杵は大日如来の三身耶身也。

 

【現代語訳】独鈷杵は大日如来の三昧耶身である。

まず、「三昧耶身」についてです。

真言密教の修法において、本尊を観想するとき、いきなり本尊のお姿を観想するのではなく、まずは、種字という梵字を観想します。

次に、その種字を変形させて、三昧耶形を観想します。

さらに、三昧耶形を変形させて、本尊のお姿を観想するのです。

たとえば、無量寿如来を観想するときは、まず、種字であるキリク字を観想し、

キリク

キリク字を変形させて、三昧耶形を観想します。

無量寿如来の三昧耶形

 

 

 

 

 

この三昧耶形を変形させて

無量寿如来を観想します。

 

三昧耶形の説明として「その仏を表す象徴物」というのが多いように思います。

しかし、私は「象徴物」という説明が妥当ではないのではと思います。

私は20代のとき、ネパールを中心に修行してましたが、ネパールからインドにも毎年のように出かけていました。

ある日、インドのリシケーシュで少し仲良くなったサドゥー(ヒンドゥー教の出家者)から、シヴァのプージャ(供養)に行こうと誘われました。

シヴァの頭頂からガンジス川が噴き出され、リンガにガンジスの水が灌がれています。

プージャに参加したのは、私を誘ってくれたサドゥーと、そこで待っていたサドゥーと私の三人だけでした。

リシケーシュは、ガンジス川の比較的上流の方であり、川原には2,30センチくらいの石ばかりが転がっています。

しかし、橋から少し上流の方に歩いて行くと砂になっている場所がありました。

そこで小さな砂山をつくり、その砂山をシヴァとして供養し始めました。

シヴァは人間に似た姿で

表象されるときとリンガ(男性器)

リンガ

として表象されるときがあります。

私はヒンドゥー語を学んでませんので、インド人と話をするときはいつもカタコトの英語でした。

プージャ後のおだやかな雰囲気の会話の流れで、もう、話の内容は思い出せませんが、シヴァの三昧耶形と言うつもりで、私はリンガをシヴァの「symbol(象徴)」と言い表わしました。

すると、まだ話が終わらないうちに、一人のサドゥーが、「No! 」と声を張り上げました。

「 Not  symbol!!!」

何か言うと殴られそうな勢いだったので、とりあえず、落ち着くまで謝り続けました。

サドゥー二人が説明してくれたのは、リンガは象徴ではなく、リンガはそのままでシヴァなのだということでした。

では、人に似た姿の方が象徴なのかと問うと、それも象徴ではないと言います。

私はそのとき、どちらかが象徴のはずだという思い込みがあったので、では、リンガが象徴かと、また同じ質問をしてしまいました。

そのようにお互いカタコトの英語で問答を繰り返しているうちに、また、一人がイライラし始めたので、その話はそこでやめました。

そのときの問答は、しばらく私の頭から離れずけっこうな時間、考えさせられました。

二人のサドゥーの説明によれば、

こちらのシヴァも

こちらのリンガも、等しくシヴァそのものだというのです。

 

私は、三昧耶形は象徴ではなく、本尊そのものなのではないかと思います。

種字もそうです。種字も本尊そのものでしょう。

 

『麗気記』に戻りましょう。

「独股杵は大日如来の三身耶身也」

ここでいう「三昧耶身」は、確実に「象徴」ではないでしょう。

だからこそ、象徴と解釈される「三昧耶形」ではなく、「三昧耶」の形をした「仏身」という意味で、「三昧耶身」としたのではないでしょうか。

『二所大神宮麗気記』は独鈷杵の形をした日本の国土を大日如来の仏身そのものだというのです。

 

この記事の無量寿如来と三昧耶形の絵は

図解・曼荼羅の見方から引用させていただきました。

図解・曼荼羅の見方は図が豊富で、両部曼荼羅についてこれから学びたい人にオススメです

 

 

天照皇大神=大日如来「大日遍照と申も、天照大神と申も、 只一仏の異名なり」

【読み下し文】之を持するを阿闍梨と名づく。
阿闍梨は大日の別名、心字(こころのあざな)也。

 

【現代語訳】この独鈷杵を持つ者を、阿闍梨と呼ぶ。
阿闍梨は大日如来の別名、心の呼び名である。

阿闍梨とは梵語(サンスクリット語)のアーチャーリヤの音訳です。
密教の師を阿闍梨と呼びます。

「阿闍梨は大日の別名」と説かれます。
真言密教の伝法灌頂において、受者は自身が大日如来と本質的に等しいことを伝えられます。
伝法灌頂に入壇することができれば、受者は阿闍梨となるので、真言宗の教師資格が与えられます。

「字(あざな)」とは、

校註解説・現代語訳 麗気記〈1〉 (大正大学綜合仏教研究所叢書)の註釈によれば、「実名とは別に付けられる名前」とあります。
ですから、心の別名ということです。

大日如来は心の本性であり、独鈷杵を持つ阿闍梨だということです。

道範(1184-1252)『初心頓覚抄』に、小野僧正の言葉として「神をは天照大神と号し、国をは大日本国と名、祖師をは遍照金剛と言(の)玉へり。此の遍照とは根本大日遍照とて大日の御名なり。大日遍照と申も、天照大神と申も、只一仏の異名なり」とあります。

つまり、独鈷杵=日本の国土を持つ大日如来は天照皇大神と同体異名であるということです。

 

 

鹿島大明神と香取大明神

タケミカヅチ

【読み下し文】亦は両宮の心柱(しんのみはしら)也。

 

【現代語訳】また、独鈷杵は伊勢両宮正殿の心御柱である。

心御柱(しんのみはしら)は、建築物を支えるための大黒柱のようなものではなく、建築上は意味をなさない柱です。
忌柱 ( いみばしら ) 、天ノ御柱 ( あめのみはしら ) 、天ノ御量柱 ( あめのみはかりのはしら )とも呼ばれます。
心御柱 は、伊勢神宮の 正殿 ( しょうでん )の御床下に建てられる御柱で神が宿る神籬 (ひもろぎ)です。
心御柱の奉建は遷宮諸祭の中でも非常に重んじられてきた深夜の秘事です。
当然ながら、心御柱の写真はありません。

 

【読み下し文】此の国に降臨の時、

 

【現代語訳】この国に降臨した時、

天孫降臨(てんそんこうりん)ですが、この文脈ですと天照皇大神が降臨したようにも読めます。
日本の正史である『日本書紀』には天照皇大神の孫である天尊・瓊瓊杵尊(ニニギのみこと)が高千穗峯に天降ったと記録されています。

 

ただ、中世においては、国譲り神話も瓊瓊杵尊ではなく、天照皇大神が国津神(くにつがみ)から直接、日本の国土を譲り受ける話になっているケースがあるので、天孫降臨ではなく、天照降臨として記された可能性もあります。

【読み下し文】鹿嶋・香取の二神を先立てて、

 

【現代語訳】鹿島大明神と香取大明神の二神を先立たせ、

「鹿島大明神」は茨城県鹿島町に鎮座する鹿島神宮の神、「香取大明神」は千葉県佐原市に鎮座する香取神宮の神です。

鹿島大明神は武甕槌神(タケミカヅチ)、香取神宮は経津主神(フツヌシ)とされます。
タケミカヅチもフツヌシも葦原中国を平定した軍神です。
ですから、昔から武人からの信仰が篤く、フルコンタクト空手の極真会館をはじめ、武道場でも神棚に祀られることが多くありました。

極真会館の旧総本部道場。両脇に鹿島大明神と香取大明神

タケミカヅチは、イザナギが軻遇突智(カグツチ)の首を斬ったとき、剣の根元についた血が岩に飛び散り、そこから生まれたと伝えられます。

フツヌシは、イザナギがカグツチの首を斬ったとき、刃から滴る血が固まり、天の安河の河原にあるたくさんの岩である五百箇磐石(イオツイワムラ)となったといいます。このイオツイワムラがフツヌシの祖神です。

つまり、タケミカヅチとフツヌシともにカグツチの子孫といえるかは微妙ですが、血を継ぐ神とはいえると思います。
カグツチもまた軍神です。

ところが、鹿島をタケミカヅチ、香取をフツヌシとする説にも、また異説があり、『諸神本懐集』には
“伊弉諾(イザナギ)の尊はおとこがみなり。いまの鹿嶋の大明神なり。伊弉冉(イザナミ)の尊はきさきがみなり。いまの香取の大明神なり”
と記されています。
『諸神本懐集』では、鹿島大明神はイザナギ、香取大明神はイザナミとしているのです。

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日本思想大系〈19〉中世神道論 (1977年)

『諸仏本懐集』の他にも『大和葛城宝山記』や『天地麗気記』など重要な資料を所収してます。

他にも、鹿島香取の両神をタケミカヅチとフツヌシ以外の神とする例を御存知の方がおられましたら、ぜひメールで教えて下さい。

 

葛城山の金剛宝柱

【読み下し文】
此の国の中の金剛宝山に金剛宝柱を興てたまふ。

 

【現代語訳】
この国の中の大和の金剛宝山に金剛宝柱を立てた。

金剛宝山とは葛城山のことです。
『聞書』に「大峰に於て鹿嶋香取の二神降臨の時に之を立て給へり。此の柱は石の如くに二本重なりて立てりと云々。峰入り山伏に尋ぬべし」とあります。
「大峰」とありますが、ここでは「大峰山」ではなく、葛城山を指します。
「峰入り山伏に尋ぬべし」と山伏なら知っているはずという書き方ですが、現在、どこにあるのかは不明です。
でも、この書き方ですと昔は実際に、石の金剛宝柱が葛城山にあったのでしょう。

葛城山

いや、凡人には見えないだけで、今もこの山のどこかに金剛宝柱が立っているのかもしれません。

 

【読み下し文】阿耨多羅三藐三菩提心を発す。

 

【現代語訳】阿耨多羅三藐三菩提心を発した。

“阿耨多羅三藐三菩提”は、サンスクリット語の「anuttara-samyak-sambodhi」の音訳です。

意訳すれば「無上正等覚」、如来の覚りです。

【読み下し文】金剛不壊自在王の三摩耶形、是也。

 

【現代語訳】金剛不壊自在王の三昧耶形がこれである。

金剛不壊自在王を

『現代語訳 麗気記』は大日如来としています。
だとすれば、金剛宝柱もまた、独鈷杵の形をしているということになります。

【読み下し文】金剛宝の宝柱は、長(ながさ)一丈六尺、径(わたり)八寸、廻(めぐり)二尺四寸なり。是、過去十六丈仏の長(たけ)を表はす也。

【現代語訳】金剛宝柱は、高さ一丈六尺、直径八寸、周囲二尺四寸である。
これは過去十六丈仏の身長を表わしている。

「一丈六尺」=「丈六(じょうろく)」は一丈は約3m、一尺は約30cmですから約4.8mです。これは釈迦如来の身長です。

1寸は約3cmですから、直径は約24cm、周囲は約72cmとなります。

【読み下し文】是、過去十六丈仏の長(たけ)を表はす也。

【現代語訳】これは過去十六丈仏の身長を表わしている。

この一文は謎です。


『現代語訳 麗気記』の註釈には「十六丈の長けをもつ迦葉仏のことか。」とあります。
迦葉仏の身長は十六丈(約48m)なので十六丈仏は迦葉仏のことかというのですが、
その前に「是(これ)」とあります。
「是」は普通に考えると金剛宝柱のことと思われますが、金剛宝柱は一丈六尺と明記した後に、これは十六丈仏の身長といわれてもよくわかりません。

謎です。

この一文を読み解くことができた方は、ぜひ、メールにてご教示ください。

 

三種の神器 神璽の異説

【読み下し文】内宮の柱(みはしら)は、垂仁天皇の長を以て八尺に模し、仏尺を約(つづ)めて五尺五寸と成して、

【現代語訳】内宮の柱は、垂仁天皇の身長が八尺であるのに倣い、仏尺を実尺に置き換えて五尺五寸とした。

文の意味としては、仏尺の八尺は通常の五尺五寸に相当するということでしょう。
しかし通常、仏尺は一丈六尺、座像でも八尺なので、五尺五寸というのが謎です。

この点について

『現代語訳 麗気記』の註釈に
“仏尺は通常一丈六尺(座像は八尺)であり、五尺五寸とする説については不詳。
ただし、『聞書』では「約仏尺〈文〉。師〈良遍〉ノ云ハク、其ノ時ノ仏尺五尺五寸ヲ用ヒル也ト云々」として、仏尺を五尺五寸とする説が存在していたと理解している。”
とあります。

【読み下し文】桧の楉(すわへ)を用ひ、正殿の大床の下に之を興(た)つ。
当朝の主と古先の王の霊と、国璽の奇瑞、天御量柱と形(あら)はす。
中水穂国心柱と為して、崇め重んじ奉る所也。

【現代語訳】その材料は桧の若木を用い、正殿の大床の下に立てている。
心御柱とは、今と古の天皇の御霊と国璽の奇瑞が天御量柱となって現れたものである。
これが、日本国の中心の柱として崇め重んじられる由縁である。

通常、国璽(こくじ)とは、国家元首である天皇陛下が、国家の表徴として 外交文書などに押す印章をいいます。

明治天皇の御名と国璽(明治4年製作の旧印)

国璽について

『現代語訳 麗気記』の註釈には、“ここでは、単に国の表象を意味するか。”とあります。

『現代語訳 麗気記』は、多分、独鈷杵の形をしている国土を指して“国の表象”としていると思われます。
しかし私は、ここでいう国璽は、神璽のことではないかと考えています。

上記の見解に基づけば、国=仏=神となり、この文脈では、国璽を神璽ともいえるということになります。

神璽は、現代においては当然のように八尺瓊勾玉(八坂瓊曲玉・やさかにのまがたま)であるとされています。

しかし、神璽は錦張りの木箱の中に入っており、天皇でも箱を開けることはできません。

『続古事談』は、冷泉天皇は女官の止めるのを振り切り、無理やり神璽の箱を開けようとしたところ、中から白い煙が立ちのぼったので閉じたと伝えています。
多分、神代から人代に移って以降、神璽を見た人間はいないのでしょう。

中世においては、この箱の中の神璽についていくつもの説があり、その一つに独鈷杵説があります。

上の三幅の掛け軸は大英博物館所蔵の三種の神器の図です。
向かって左の図が草薙剣 (くさなぎのつるぎ)、別名・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ) 、向かって右の図が、八咫鏡 (やたのかがみ) ,真ん中の一幅が「神璽」です。

「神璽」とあります

この図では、独鈷杵の上に「玉」がありますが、独鈷杵しか描かれていない図も国内に現存しています。

【読み下し文】天御量柱と形(あら)はす。

【現代語訳】天御量柱となって現れたものである。

天御量柱(あまのみはかりはしら)は心御柱の別名。

【読み下し文】中水穂国心柱と為して、崇め重んじ奉る所也。

【現代語訳】これが、日本国の中心の柱として崇め重んじられる由縁である。

中水穂国(なかつみずほのくに)は日本の別名。

「神仏習合」再考は、大英博物館蔵の三種神器だけでなく、国内の三種神器の画像も比較し、解説されてます。

 

 

 

 

鷄子の如くして、 溟涬(ほのか)に牙(きざし)を含めり

【読み下し文】中水穂国とは大日世界宮、鎫字、大悲の智水也。

【現代語訳】中水穂国とは、大日如来の世界の宮であり、種子である鎫字は、大日如来の大悲の智水である。

中水穂国は日本の別名であり、大日如来の世界とは密厳浄土です。
鎫字(ばんじ)とは、梵字のバンという字です。

バン(鎫字)

この一字は大日如来の種字であり、大日如来そのものでもあります。

また鎫字は水でもあります。物質の構成要素を五つに分類したものを五大といいます。

五大の一つである水大を梵字で表すと

となります。

このバ字に空点を付けると

バン

になります。

空点は五転でいうと菩提門なので、菩提点ともいいます。

日本国の別名である中水穂国という名称の中の「水」とは、大日如来の大悲の智水のことであるということです。

【読み下し文】鶏子の如くとは、是、水珠也。是、如意宝珠也。是、仏果の万徳至極也。

【現代語訳】日本の国土の始まりが「鶏子のごとく」とあるのは水珠のことである。
これは、大悲福徳円満を表わす如意宝珠である。
仏果の究極の功徳である。

「鶏子(とりのこ)のごとく」と唐突に出てきますが、これは『日本書紀』神代上・第一段本文冒頭の
“古(いにしえ)天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰・陽、分かれざりしときに、渾沌たること鷄子の如くして、溟涬(ほのか)に牙(きざし)を含めり”
という天地開闢の一節を指しています。

空と陸が分裂する以前の宇宙の原初状態は鶏卵のような状態であったといいます。

この宇宙の原初状態が水珠であり、意のままに願いをかなえる珠(如意宝珠)だというのです。

【読み下し文】真如は色を絶つれども、色を持ちて乃ち悟る。

【現代語訳】真如は物質現象を超越したものであるけれども、物質現象を利用することにより覚ることができる。

真如とは、あるがままの境地です。

如来ではない凡夫には、ものごとの本当の在り方が認識できません。

普通の人間がが認識しているのは、本能的に心と脳によって加工された対象なのです。

ここでいう「色(しき)」は、赤や青という「色(いろ)」ではなく、物質のことです。

経典に「色」という文字が出て来た時は色(いろ)なのか、物質なのか、

前後の文脈から判断しなければなりません。

あるがままの境地、物事が本当の在り方であらわれる境地は、物質性(色)を超越しています。

しかし、物質性(色)を超越した境地を実現する道具として、覚りのためのツールとして、物質(色)である人間の身体は、もっとも優れているのです。

 

空海と最澄のことば

【読み下し文】仏身は本より体無けれども、体を以て之を現はす。事々理々の始也。
是、神明の具徳、真理の明珠、霊鏡の正体也。

【現代語訳】仏身は、本来、形象がないけれども、形象をもって、これを現わす。
それは、相対・差別の現象と、絶対・平等のの法性が不可分であることの原初の境地である。
これは神が功徳を具えた存在であることを示しており、また、真理の明珠であり、霊鏡の正体である。

【読み下し文】ホタラ言はく「一百余部の金剛乗教は、神明の神通(じんつう)を越えず」

【現代語訳】空海が言うには「百余部の密教の教えも、日本の神々の神通力を超えることはない」

ホタラについて『聞書』に「空海ノ梵語ノ御号也」とある。

【読み下し文】ソタラン云はく

【現代語訳】最澄が言う

ソタラン、『聞書』に「伝教大師の御称ト云々。最澄也」とある。

【読み下し文】「釈に云はく『此、究竟を観ずるを妙覚(みょうかく)と名づく。
猶、寂光(じゃっこう)の妙土に居て、無明所感の土には非ず。
万法、悉く法性(ほっしょう)を出でざるが故に、三土即ち寂光也』

【現代語訳】「ある注釈に言う『究竟を観ずることを、妙覚と名付ける。
それはまるで寂光浄土にいるようであり、智慧の無い者が認識できる世界ではない。
法性の領域から出るものは何もない。
よって四種の浄土のうち、寂光浄土を除く他の三種の浄土も、やはり寂光浄土に含まれるのである。』

中国天台宗の事実上の開祖である天台大師・智顗(538-598)は、国土を次の四種に分類し、「四土」説を説きました。
四土とは、「凡聖同居土(ぼんしようどうごど)、方便有余土(ほうべんうよど)、実報無障碍土(じっぽうむしょうげど)、常寂光土(じょうじゃくこうど)です。

凡聖同居土とは、凡夫も如来もともに住む国土。

方便有余土とは、小乗の高位の聖者が住む国土。

実報無障礙土とは、高位の菩薩が住む国土。

常寂光土とは、如来が住む国土です。

【読み下し文】釈に云はく『豈(あ)に伽耶(かや)を離れて別に常寂(じょうじゃく)を求めんや。寂光の外に別して娑婆有るに非ず』

故に和光同塵(わこうどうじん)は穢土(えど)に居て衆生を利す。内証、全く寂光の本土を動ぜず」

 

【現代語訳】ある注釈に言われる『どうして、成道の地ブッダガヤを離れて、他に悟りを求める必要があろうか。悟りの世界と別に、この現実世界があるのではない』

故に、仏や菩薩は、日本の神として現われ、この不浄なる世界で私たちに利益を与えているけれども、その覚りの心が寂光浄土を離れることは全くない」

 

伊勢神宮の形文 神社建築における妻の重要性

奈良・正暦寺「伊勢両宮曼荼羅」内宮

【読み下し文】仏土は、三界を離れて法界に同じ。湛然平等にして三世常住なり。
神の世界に応化するは、塵沙に交はりて、寂然一体にして常住三世なり。
両宮も亦、此の如し。
両宮の形文は、大梵天の其の形、日神・月神、本妙蔵の摩尼珠也。
従本垂跡の故に、一切衆生父母の神、無来無去の形体也。

【現代語訳】仏国土は、現象界を超越し、法界に等しい。
そこは極めて静かで平等であり、過去・現在・未来の三世に常住である。
神が現象界に現われるのは、多くの衆生に交わり、寂静一体であり三世に常住である。
伊勢神宮の内外両宮も同様である。
この両宮の形文は大梵天王の形であり、日神・月神であり、本妙を蔵する如意宝珠である。
仏が神となって現われたのであるから、この両宮の形文は、すべての衆生の父母である神にして、生じることもなければ、滅することもない形体なのである。

ここで、伊勢神宮の両宮(内宮と外宮)の神が、現象を超越した神であることが説かれています。
「形文(ぎょうもん)」とは

『現代語訳 麗気記』の註釈に
“伊勢神宮正殿の妻の棟梁に付けられた装飾のこと。”
とあります。

ここでいう妻とは、屋根の端のことであり、棟梁とは、屋根の主要部品である棟(むね)と梁(はり)のことです。

また、『現代語訳 麗気記』の註釈に“中世においては心御柱とならび、神宮の象徴的意味をになうシンボルとして、秘説が形成されていた。”とあります。

『両宮形文深釈』など形文に関する書物が多く伝えられています。

また、神社建築においては、古来、妻が重視されています。

神社によっては北野天満宮のように、切妻造ではなく、寺院建築に由来する入母屋造の御社もありますが、同じ寺院建築に由来する寄棟造や宝形造の御社はありません。

これは寄棟造や宝形造が妻を持たないためだと思われます。

 

蔵王権現のことば

金峯山寺の蔵王権現

【読み下し文】蔵王菩薩言はく「天照大神は最貴最尊の神にして、天下の諸社に比ぶこと無し。」

【現代語訳】蔵王菩薩が言う。「天照大神は、最も貴く最も尊い神であり、他に比べられる神はない。」

 

【読み下し文】大日霊尊は天下を照らして昼夜無く、内外に通りて息(やす)むこと無し。大日霊貴(おおひるめのむち)、諸物を貴ばず、仏見法見をも起こさず、竪(たて)には最頂に至り、横には十方に遍ず。

【現代語訳】大日霊尊(天照大神)が天下を照らし続けていることは、昼夜も無く、内外の別も無く遍満し、休むことがない。
大日霊尊(天照大神)は、如何なる物にも偏重せず、自らの尊さに慢心を生じることもなく、垂直方向には最頂に至り、水平方向には十方、すなわち、あらゆる方向に遍満している。

 

【読み下し文】百億無数の梵摩尼珠、百億無数の天帝釈、百億無数の諸天子、百千陀羅尼の金剛蔵、百千菩薩の全身体、百千万数の諸仏身、塵数世界の大導師、百大僧祇の金剛寿、無量無辺の大身量、沙妙法身の博伽梵、上々下々の混沌文、去々来々の禅那定、一々如々の同一体、在々処々の本垂跡、平等平等不二の神なり。

【現代語訳】天照大神は、百億無数の不思議な宝珠、百億無数の帝釈天、百億無数の天人、百千の陀羅尼を納める金剛蔵、百千の菩薩の身体、百千万数の諸仏の身体、無数の世界を導く偉大な指導者、永遠不滅の寿命、無量無辺なる大きな身体、無数のすばらしい法身としての世尊、天に上り地に下る不可思議で混沌とした文様、過去・未来にわたる禅定の心、一如真実のの同一体、いたるところに現われる垂迹神、絶対平等で不二の神なのである。

 

【読み下し文】不二而二・而二不二の尊、互いに同一所に有(あれま)す。法性は常に寂光なり。過去(ゆきさ)り前(さき)だつは方便なり、外に現はして在位を現はすは、不思議不思議なり。一向、皆、一生に言ふこと無かれ。自ら口外在らば即ち天罰を得ん。両宮を知る事莫かれ。」

【現代語訳】不二にして二、二にして不二の尊であり、お互いに同じく一所鎮座している。
その真実の姿は、真理と智慧を象徴する光なのである。
過去に様々な形を取ったのは方便であり、姿を現わしてこの地に鎮座したのは、思慮・言語を超えた不思議不可思議なことである。
このことは、生涯に亘って決して人に言ってはいけない。
もし自ら口に出して他に漏らすようなことがあれば、天罰を受けるであろう。
内外両宮の深秘は知ってはならないことなのである。」

この秘密を漏らしてはならないと説かれていますが、この説は、すでに一般に市販されている多くの本で何度も紹介されています。
また、神を畏れ敬う心を失った人が増えた現代、情報過多の現代において、お一人でも神に心を向けるきっかけになればと思います。

【読み下し文】行者(ゆきひとら)云はく「再拝再拝、宝喜、仁(ひと)に跡(くた)り交はるを大神と云ふ也。天に上りて光を成すを天照大神と謂す也。」

【現代語訳】役行者が言う「再拝再拝、宝喜菩薩が垂迹神として人間に交わる時には大神と云い、天に上って光を発する時には天照大神というのである。」

ここで神変大菩薩・役行者が、宝喜菩薩(蔵王権現)と天照大神が同じ尊の異なる現われであるという秘説を説かれています。

 

垂仁天皇・倭姫命・雄略天皇・大佐々命

 

【読み下し文】五十鈴天皇(いすずすべらみこと)国吏(くにさつち)第十一帝、

【現代語訳】第十一代・垂仁天皇

「五十鈴天皇国吏第十一帝」とは、第十一代・垂仁天皇(3世紀後半ー4世紀前半)のことです。

『日本書紀』では「活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)」、『古事記』では、「伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)」と記されます。

垂仁天皇の父である第十代・崇神天皇(三世紀後半)の御代に、皇居にお祀りしていた天照皇大神と倭大国魂(やまとのおおくにたま)の二柱の神威を怖れ、皇居の外に祀ることにされました。

天照皇大神を豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと・崇神天皇の皇女)に託して大和の笠縫邑に祀りました。

また、倭大国魂は淳名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと・崇神天皇の皇女)に託されるのですが、淳名城入姫命の頭髪が抜け落ち、身体が痩せて祀ることはできませんでした。

その後、垂仁天皇の御代になり、倭姫命(やまとひめのみこと・垂仁天皇の皇女)が天照皇大神を託され、各地を遷座しながら、最終的に天照皇大神を伊勢にお祀りすることになります。以下の【本文】は、そのことについて記されてます。

【読み下し文】二十二大泊瀬稚武(おおはつせわかたけの)天皇二十一年[丁巳]十月朔、

【現代語訳】第二十一代・雄略天皇の二十一年〔丁巳〕十月一日

「大泊瀬稚武(おおはつせわかたけの)天皇」は、第二十一代・雄略天皇のことです。

『日本書紀』では「大泊瀬幼武尊 おおはつせわかたけるのみこと」、『古事記』では「大長谷若建命」と記されます。

本文では、「二十二(第二十二代)」と記されていますが、これは現在は歴代天皇から外されている神功皇后を第十五代天皇とした場合、雄略天皇が第二十二代となるからです。中世は、第十五代天皇を神功皇后としていました。

しかし、大正十五年(1926)十月の皇統譜令施行後、神功皇后は歴代天皇から外されました。

雄略天皇は、大悪天皇(はなはだあしきすめらみこと)とも有徳天皇(おむおむしくましますすめらみこと)とも呼ばれました。

また、雄略天皇は、神仏習合神話において非常に重要な聖地である葛城山において、一言主神と共に狩猟をされ、帰りは神に高取川まで送られたと『日本書紀』が伝えています。

この記し方ですと、【本文】の以下の事柄が雄略天皇二十一年十月一日にあったように読めるのですが、次に出てくる倭姫命は垂仁天皇の皇女ですので、当然、雄略天皇二十一年十月一日にはまだ生まれてもいません。

ここでなぜ唐突に、雄略天皇の御名が記されているのか


『現代語訳 麗気記』の註釈に解説があります。

『私鈔』に、“垂仁天皇二十五年に内宮あらはれたまふ”、“雄略天皇の御事也。彼の御代に外宮始めてあらわれ給ふ”とあります。

つまり、内宮が伊勢に鎮座された御代と、外宮が鎮座された御代を並記したという見解です。

【読み下し文】倭姫命(やまとひめのみこと)教覚(さと)りたまひて、明年(あくるとし)[戌牛]秋七月(ふみずき)七日、大佐々命(おおささめのみこと)を以て布理(ふり)奉る。三十二神の共奉の神等・従神の若雷神(わかいかつちのみこと)、天八重雲(あめのやえぐも)の四方に薄靡(たなひき)て垣(かき)と為り蓋と作(な)る。

 

【現代語訳】倭姫命が教え諭したことにより、明年〔戌牛〕秋七月七日に、大佐々命も以て降臨させた。その時、三十二神の供奉する神たち、そして神に従う若雷神も一緒になり、天の八重雲が四方に薄く広がって垣根や天蓋となった。

倭姫命(やまとひめのみこと)は天照皇大神を伊勢に祀り、伊勢神宮の初代斎宮となりました。

日本武尊が神宮を参拝したときに草薙剣を授けた御方でもあります。

ここでは、倭姫命が託宣を受け、その400年以上あとに、外宮が創始された由来を伝えています。

以下、


『現代語訳 麗気記』の註釈の内容をまとめます。

大佐々命(おおささめのみこと)は、雄略天皇の勅命により豊受大神をお迎えに行った使いの神です。

『倭姫命世記』には、雄略天皇の勅命により「二所太神宮大神主職」を任ぜられたとあります。

『神宮雑例集』に「度会神主等先祖大佐々命」とあり、外宮の神職の家系である度会(わたらい)氏の祖神です。

 

 

天照皇大神と豊受大神の遷座

「伊勢両宮曼荼羅」外宮 正暦寺蔵

【読み下し文】丹波の吉佐(よさの)宮より倭(やまとの)国宇太乃(うたの)宮に遷幸(みゆき)して一(ひとよ)宿す。伊賀の穴穂(あなほの)宮に二(ふたよ)宿す。渡相(わたらひ)の沼木平尾(ぬまきのひらお)に遷幸して行宮(かりみや)を興(たて)て七十四日。同九月十七日、山田原の新殿(かりとの)に遷幸して、鎮座し奉りて以降、豊受(とようけ)皇太神 祭始(いはいはしめ)奉る。[降化の本縁は別記有り。]

【現代語訳】豊受大神がいた丹波の吉佐宮から大和国の宇太乃宮に遷幸して一泊。伊賀の穴穂宮で二泊。度会の沼木平尾に遷幸し、行宮を建てて、七十四日間。そして同年九月十七日に山田原のの新殿に遷座した。この鎮坐されてから、豊受大神は天照大神をまつり始めたのである。
〔豊受大神が降臨した詳しい由来については、別記がある〕

豊受大神の遷座について、同じ『麗気記』でも『降臨次第麗気記』『豊受皇大神鎮座次第』では『二所大神宮麗気記』と異なる説を伝えています。

【本文】上の如く大泊瀬朝倉(おおはつせあさくらの)宮の長(たけ)以上を取りて之を造り、豊受大神宮の玉殿(たまとの)の床(みゆか)の下に之を興(た)てて心柱(しんのみはしら)と為(な)す。

【訳】前述の内宮と同じように、雄略天皇の身長より大きく柱を造り、豊受大神宮の玉殿の床下に立てて、心御柱とした。

前述とは、
“内宮の柱(みはしら)は、垂仁天皇の長を以て八尺に模し、仏尺を約(つづ)めて五尺五寸と成し”
を指しています。

【本文】三十二の供奉(ぐぶ)の神、及び相殿(あいどの)の四座、正殿の内の中の真光玉(まことのみたまのみたま)は三十七尊。五大輪の中に自性輪壇を開きて、秘密曼荼羅位に入りて、三密無相義を秘(かく)して、自然(じねん)自覚の法を説く。内外の両宮の太神等、一所に在(いま)して、無二無別なり。外相(げそう)を二宮に分かちて、定恵(じょうえ)相応の深意を顕(あら)はす。実には不生の一義也。

【訳】主神に三十二の供奉の神と相殿の四座の神を合わせて、正殿内に収められた霊鏡の数は三十七尊である。地・水・火・風・空の五大を表わす五輪の中に、自性法身である大日如来の曼荼羅を開き、秘密灌頂を行なう最高の位に入ってあらゆる活動が大日如来と一体であるとする三密無相の義を秘めて、自然に悟りに至る法を説くのである。内外両宮の天照・豊受の両大神等は一所にいるのであって、無二にして無別である。ただ外から見える姿を二つの宮に分けて、それぞれ禅定と智慧に相応するという深意を表わしている。本当はあらゆるものの根源であるア字すなわち大日如来の他ならないのである。

“相殿(あいどの)の四座”とは、外宮に豊受大神とともに祀られた四柱の神のことです。

『神仏一致抄』は、
“相殿四座は、正殿廻りに四所の御坐あり。金剛界の五仏を表る意也。外宮は金界也”
とあり、四柱の相殿神と主祭神である豊受大神を合わせ金剛界の五仏であると説いています。

 

【本文】五十鈴河とは五輪の字なり。五大月輪(がちりん)なり。輪に五智水を出して、五穀に灑(そそ)ぎ、五智の塔婆に舂(つ)くなり。

 

【訳】五十鈴川は五輪字であり、五大月輪である。月輪は五智の水を出し、五穀に灑いで、五智の塔婆で杵搗くのである。

“五輪の字”とは、地水火風空を意味する「キャ・カ・ラ・バ・ア」という梵字五文字です。

“五大月輪”とは、

『現代語訳 麗気記』の註釈に

“五大を象徴する月輪。清浄・覚りを表わす。中世神道説では、内宮・外宮を日輪・月輪に配当し、さらに火・水が関連づけられている。”
とあります。

しかし、この註釈はいくつかの説がごちゃ混ぜになっているように思えます。

まず、後ろから説明しますと、
“中世神道説では、内宮・外宮を日輪・月輪に配当し、さらに火・水が関連づけられている。”
というのは、その通りなのですが、五大月輪とは別の事です。

“清浄・覚りを表わす。”は月輪のみにかかっています。

問題は、“五大を象徴する月輪”ですが、五大を月輪で象徴する例は見聞したことがありません。
ここでいう“五大月輪”とは、金剛界五仏の住する月輪でしょう。
金剛界の五仏を五大仏とはいいませんが、金剛界五仏の教令輪身を五大明王といいます。

 

【本文】未来際に限りて、尽くること無く、此の二神に奉仕す。神主(かうぬし)を始めて、天益人等(あまのますひとら)は、各緩怠(おのおのかんたい)すること莫(な)かれ。内を存するの人は、観想を蔵(かく)せ。両部遍照如来は本有無作(ほんぬむさ)の形文(ぎょうもん)ア・バンは平等法界の体(てい)、実相実如の御正体(みしょうたい)、十智円満の鏡也。髪長行者(かんなかのゆきひとら)が為に、上々(あらはにあらはす)ことは耶々也(ややなれや)。

【訳】未来永劫に、尽きることなく、この天照・豊受の二神に対してお仕えするのである。神主をはじめ、すべての人々は、それぞれお仕えを怠ってはならない。神宮の秘密を知る人は、観想していることを心の内に秘めるべきである。両部の大日如来は、本有無作の形文であり、ア字・バン字は平等法界の姿・不変・偏在の御神身体、あらゆる知恵がすべて具わった鏡である。このことは僧侶に対して明らかにいてはいけない。

“髪長行者(かんなかのゆきひとら)”は、伊勢神宮で仏法を避けるために使った忌詩(いみことば)の一つで、僧侶を指す言葉です。
僧侶に対して明らかにいてはいけないと記されてますが、空海から真言僧の間に伝承されて行く血脈があるように僧侶間でも伝承されてきました。
流布本では、僧侶である空海撰ともされてきました。

この記事が誰かの、日本国や神に心を向けるきっかけになれば幸いです。

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