ミヤンマー パガンにて
綿アメをうすーく引きのばしてみたような軽い雲が浮いている。 よーく見ていると、ゆっくりと形を変えながら、少しずつ西へ流れていくのがわかる。 水色の大空の下は見渡す限りの広大な平原だった。 赤茶けた大地のところどころには木や茂みが生えていたが、それらと同じくらい仏塔が地平線近くにまでまばらに続いていた。 すべての仏塔が、みごとに風景に溶け込んでいる。 一口に仏塔と言っても、そこには様々な形がある。中には黄金に輝いているものさえあるのに、それらはまったく作為を感じさせなかった。 仏塔はまるで人の ...
ミヤンマー マンダレーへ
日が暮れた後、私はバスに乗り込んだ。 エアコンバスは日本の観光バスそのままだった。 ミヤンマーの車は、日本から輸入した中古車がほとんどだが、塗装し直さないので車体に観光会社の名前がそのまま日本語で書かれている。 私は一番前の補助席に、威圧的に「座れ」と言われた。 補助席の背もたれははなかった。 次のバスに乗れるかと尋ねると「ノー」と凄まれた。 バスが闇の中へと走り出した。 エアコンバスの窓は開かないようになっている。 エアコンを使うことが前提で設計されているからだ。 エアコンは使われな ...
ミヤンマー バゴーにて
朝食の後、宿から一歩外に出ると、宿の前でたむろしていたサイカー乗りたちに囲まれた。 インドのリクシャーは客席が自転車の後ろに付いていたが、ミヤンマーのサイカーは客席が自転車の横に付いている。「サイドカー」なのだろうが、ミヤンマーでは「サイカー」と呼ばれている。 私は歩いた。 五人の男が、私についてきた。 男たちは、サイカーに乗るようにしつこくすすめていたが、宿から遠く離れていくにしたがって、一人ずつ離れていった。 橋までついてきたのは、インド人だけだった。 「俺の顔がこんなだから、おまえはサイ ...
ブータン タクツァンにて
鎖国されていたブータンではガイドを兼ねた監視と行動を共にしなければならなかった。 ガイドと一緒に山道を歩いた。 深い谷を隔てた向いの崖にタクツァン寺がへばりついている。 私たちは頂上近くまで登り、そこにあったお堂に入った。 このお堂に祀られているグル・リンポチェはスンジュンマ(話をされる仏像)だといわれている。 グル・リンポチェの前には一人のチベット僧が座っていた。 私は御本尊に五体投地してから僧の横にすわった。 師のお名前を言うと、同じ法脈だといって喜んでくれた。 普段はネパールで修行 ...
チベット ラサにて 2
十一月のラサは寒かった。 私は一ヶ月以上滞在していたので相部屋の値段で個室に泊めてもらっていた。 部屋はベッドのスペースをベニヤ板で区切ってあるだけだったが、瞑想するには個室であるだけありがたかった。 夜になると建て付けのわるい窓のすきまから液体窒素のような夜風が吹き込んでくる。 朝になると歩いて西蔵大学に通った。チベット語の講義が終わると、宿の前にある食堂で昼食をいただき、自習した。 宿に戻ると瞑想した。 毎日、同じことが繰り返されたが、その日はいつもとは違った。 門から出たその瞬間、目 ...
チベット カンリトゥカルにて
私は、法友と旅人と共に3人でバスを降りた。 ここは非解放地区なので公安に捕まると面倒だ。 私たちは早足で車道から離れ、岩石の転がる道を急いだ。 空気が薄いので、とても走ることはできない。 早歩きだけで、ぜいぜい、と息が切れる。 歩いても歩いても、ふもとのなだらかな道が続いてゆく。 聖山カンリトゥカルは、すぐ近くにあるように見えたが、近づいたら近づいただけ、遠ざかっていく。 私たちはふもとの住人と交渉してトラクターを出してもらった。 トラクターは、激しく振動しながら、岩石の上を進んでいく。 ...
チベット ラサにて 1
ラサは、チベット語で「神の地」という意味である。 この国の首都であり聖地である。人々は何ヶ月もかけてチベット中から巡礼にくる。 荒れた道を、尺取り虫の如く五体投地を繰り返しながらやってくる人たちもいる。 大昭寺の前に人だかりができていた。 その中心に骨と皮だけのひからびた腕を見せている巡礼者がいる。 肘の関節を紐できつく縛ったまま、東のカム地方からここまで五体投地を繰り返して来たのだという。 完全に壊死した右腕はすでにミイラ化している。 ラサに到着する前に乾燥して折れてしまわないようにバタ ...
スリランカ ポロンナルワにて
ポロンナルワという小さな村で、トゥクトゥクの運転手に「サファリに行かないか」と誘われた。 スリランカのサファリは、日本のサファリパークとはちがい、本当に野生の動物たちが見られる。 行ってもよかったが、私には金銭的余裕がなかった。サファリに行くなら、安くあげても百ドル以上の出費である。 「四百ルピーでいいよ。野生の象や孔雀に会えなかったら金はいらない。嘘じゃないよ。本当、本当」 嘘かもしれなかったが、四百ルピー(六百円)なら騙されてやってもいい。 私はトゥクトゥクに乗り込んだ。 トゥクトゥクはタ ...
スリランカ スリーパーダへ
お茶の新芽が、こんもりとした丘を鮮やかな色で覆っていた。 なだらかな稜線をやさしく撫でるように、おもちゃのような汽車に揺られてゆく。 列車は窓もドアも開けっ放しだった。若者たちが戸から外にぶら下がり、はしゃいでいる。 向かい合った席の男の子は窓に箱乗りしていた。男の子の横に座るおばあちゃんは、孫が窓から落ちないようにシャツの端を握りしめている。 時折、私と目が合うと、おばあちゃんは「何だか困っちゃったな」という顔をしたが、本当はとてもうれしそうだった。 この列車に乗っている誰もが、みんなわくわ ...
スリランカ ダンブッラへ
私は、ダンブッラ行きのハイウェイバスに乗っていた。 ハイウェイバスとは名ばかりで、12人が乗り込んだ8人乗りのバンは公道ばかり走っていた。 スリランカにはハイウェイ(高速道路)が無いので、おかしいとは思っていたのだ。 ハイウェイバスは、公道を高速道路なみのスピードで暴走していた。 バスは国営だが運転マナーは他のどの車よりも悪い。 早朝の道路には、動物たちの死骸が数メートルごとに転がっていた。 ハイウェイバスは異常な速度で何の躊躇もなく生き物たちをはね飛ばしていく。 死骸から大袈裟なくらい腸 ...
ネパール ポカラからカトマンドゥへ
眼下には、雪をかぶったヒマラヤの山々がそびえていた。 雨期のポカラは灰色の雲に覆われ、ヒマラヤの山々が姿を見せてくれることはなかったが、雲の上に行けば、雨期だろうと関係なかった。 太古の昔から雪を被り続けている山々が、犯しがたい崇高さをもって、そこにそびえたっていた。 峻厳な山岳に降り積もった粉雪が、風に吹き飛ばされていくのが見える。 圧倒的な威容。 厳しいまでの美しさ。 私は、思わず手を合わせていた。 この神々しい山々が、どの神仏の垂迹であるかは、問題にならない。 山々は、絶対的真理の ...
ネパール ポカラへ
山々に囲まれた谷間の斜面に削り出された道路上で、バスは長い間、停まったままだった。 車内ではイスラエル人たちが、いつ走り出すのかと騒ぎ続けている。 一時間ほど待たされた後、乗客は全員、降ろされた。 預けていた自分の荷物を渡され、「歩け」とだけ言われた。 斜面に沿って湾曲した道路に、ポカラへ向かうバスが十数台連なっていた。 私は重い荷物を背負って、連なるバスの傍を歩いて行く。 日射しが強かったが遮るものが何もなかった。 長い間、上り坂が続く。 途中で座り込んでいる者もいる。 強力な太陽光 ...
ネパール ダクシンカリにて
その日は、谷底に祀られている女神に、生け贄が捧げられる日だった。 神の前にいる聖職者は、実に手際よく、生け贄をさばいていく。 施主から鶏を受け取ると同時に、頭をひねり首をねじ切る。頭を祠の上に投げ置き、胴体から噴き出す血を神像にかける。 胴体を施主に手渡すと、すぐに次の鶏を受け取る。 十畳ほどの白いタイル張りの床に、赤い血が染みわたってゆく。 おびえる子山羊が、首に紐をくくられ引きずられてきた。 鶏が殺されてゆく横で、山羊は床に押さえつけられ、鉈で首を叩き落とされた。 私は座って、動物たち ...
ネパール カトマンドゥにて2
カトマンドゥは喧噪と汚濁に満ち、いくつもの深刻な問題を抱えていた。 大気汚染もその一つだ。 カトマンドゥを走る車のほとんどが、インドから仕入れた中古車である。 インド国内を走る車もひどいが、さらにその中古である。そのうえネパールで売られているガソリンは不純物が多く、インドよりも格段に質が劣る。 そのため車の管がすぐに腐ってしまうので、ガソリンを垂れ流しながら走っている車も多い。 日本では、間違いなく廃車扱いになるような車がほとんどだ。 街に出るとき、私はいつもマスクをしていた。マスクをしない ...
ネパール スンダリジャルにて 5
しとしと、という音の中で、目が覚めた。 雨の臭いがする。 目を開いても、闇の中にいることに変わりはなかった。 「夢」の修行をしているときは一晩で十回以上、夢を見る。夢が途切れるたびに目が覚めるので、行中は慢性的な寝不足である。 つい先ほど見ていた夢を辿っていく。 夢の中の風景を忠実に再現していく。 青い海と白い砂浜。 椰子の木陰。 小さな仏像。経典。数珠。 夢の中の私自身。 私は、夢の中でも昼間行っていた瞑想を行じていた。 違うのは、カビ臭いコンクリートの部屋か、南の島の白い砂浜かと ...
ネパール スンダリジャルにて 4
蜂が巣を作り始めた。 部屋の窓は開き窓になっており、木窓は外側に、網戸は内側に開くようになっていた。 その間に鉄格子があり、そこに蜂たちが巣を作っているのだった。 蜂の身体は細く、尻がとがっていた。 刺されると妙に痛かった。 蜂は本能により、私を刺した。 本能だから、仕方がなかったのだ。 巣は、日増しに大きくなっていく。 蜂の数が増え、度々、部屋の中に迷い込んできたが、蜂は攻撃的ではなかった。 壁にとまっている間にコップを被し、紙でふたをして外で放してやると、素直に巣に戻っていった。 ...
ネパール スンダリジャルにて 3
毎年、ホーリーの日が来ると、絞り出すような泣き声を聞く。 私は立ち上がり、屋上へ歩き出した。 ホーリーはヒンドゥー教の祭りで、この日は何をしても悪業を積まないのだとされている。だから、みんな滅茶苦茶するのだ。 太古の昔、神が定めたとされる身分制度が、ヒンドゥー教文化圏では現代でも、人々に対して強い拘束力を持ち続けている。 ホーリーの日、低カーストの者たちは日頃の鬱憤を晴らすべく、普段できないような大胆な行動に出る。 インドでは、高カーストや外国人に対し、殺人を犯す者も出るという。 しかし、こ ...
ネパール スンダリジャルにて 2
戸口に立つと、血の臭いがした。 扉を開くと、戸口を塞ぐように、血まみれの自動車が停めてあった。つい先ほど人間をひき殺してきたかのような凄惨な状態だ。 向かいの家の前で、男が山羊を押さえつけている。 子供たちが見守る中、斧が振り下ろされる。 切れ味の悪い斧は、山羊の首の半分あたりまでくい込んだだけだった。 山羊は血を吹き出しながら、何とも悲痛なうめき声をしぼりあげている。 それを見て無邪気にはしゃいでいる子どもたち。 男は首が落ちるまで、何度も斧を振り下ろし、その度に、山羊は眼球を剥き出し、 ...
ネパール スンダリジャルにて 1
その日はなぜか騒がしかった。もしかしたら、何か意味のある日だったのかもしれない。 はす向かいの大家の部屋に、ネパール人が何人も集まって熱心に話し合っていた。 話し声は、私の部屋の中にまで響き渡った。 そんなことは滅多にあることではなかった。 腕の上下運動で、灯油コンロに空気を送り込む。ピストンの革製部品がすり減ってしまっているので、タンク内の圧力がなかなか上がらない。 バルブを開く。 一瞬の間をおいて、灯油が噴き出した。 マッチをすって灯油の受け皿に入れる。火が吹き上がり、部屋はすすと油煙 ...
タイ パンガン島にて 3
ちくちくという痛みで、目が覚めた。 椰子の間から、真夏の太陽がひどく擦りむけた足を照りつけていた。 強い鎮痛剤で朦朧としたまま、しばらく傷を眺めていた。 すると、午前中の出来事が、うっすらと思い起こされてきた。 私たちは、パンガン島の砂だらけの道をバイクで走っていた。 砂でハンドルを取られるたびに、後ろに乗っている友人は豪快に笑いとばしていた。 カーブのたびにスリップしたが、「マイペンライ(大丈夫)」を連呼する友人の勢いにおされ、そのまま運転を続けてしまった。 下り坂にさしかかったとき、ハ ...