はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ
『坐禅三昧経』20のつづき
問いて曰く、
「入出の息は是れ一息なり。
何を以ての故なるや。
息を出ださば、還た更に入るるが故なり。
譬うるに、水を含まば、水、暖かく、水を吐かば、水、冷たきが如し。
冷たきは還た暖まり、暖かきは還た冷(ひ)ゆるが故なり」と。
答えて曰く、
「爾(しか)らず。内に心、動ずるが故に、息の出づる有り。
出で己(お)わらば、即ち滅す。
鼻口、外を引かば、則ち息を入るる有り。
入るるが故に、息、滅す。
亦た将に出でんとする無く、亦た将に入らんとする無し。
復た次に、少・壮・老の人、少(わか)き者は息を入るること長く、壮なる者は息を入出すること等しく、老える者は息を出だすこと長し。
是の故に、一息に非ず。
復た次に、臍辺(せいへん)より風、発(おこ)りて相似相続し、息、出づれば、口鼻辺に至る。
出(い)で巳(お)わらば、便ち滅す。
譬うるに、鞴嚢(びのう)中の風、開く時、即ち滅するが如し。
若し口鼻の因縁を以て之れを引かば、則ち風、入る。
是れ新しき因縁辺より生ずるなり。
譬うるに、扇の衆縁、合(がつ)するが故に、則ち風あるが如し。
是の時、息を入出するの因縁、而ち有るも、虚誑(こおう)にして真ならず、生滅して無常なるを知る。
是くの如く思惟せよ。
息を出だすは、口鼻の因縁より之れを引きて有り、息を入るるの因縁は、心、動じて生ぜしむ。
而ち惑える者は以て我が息と為すを知らず。
息は是れ風なり。
外の風と異なる無し。
地・水・火・空も亦復(ま)た是くの如し。
是の五大の因縁、合するが故に、識を生ず。
識も亦た是くの如く我れの有(ゆう)するに非ざるなり。
五陰・十二入・十八持も亦復た是くの如し。
是くの如く之れを知り、息の入り、息の出づるを逐う。
是(ここ)を以て随と名づく。
己に随法を得れば、当に止法を行ずべし。
止法は数・随の心、極まりて、意を風門に住せしめ、息を入出するを念ずるなり」と。
『坐禅三昧経』22につづく