釈尊入滅の異説。牛頭天王にとり憑かれた釈迦如来
釈迦如来が入滅されるときの様相は ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫)に詳しく記されています。 ところが、大パリニッバーナ経 には伝えられていないことが、『牛頭天王島渡り』に伝えられています。 『牛頭天王島渡り』は、奥三河(旧三河国{現在の愛知県東半部}の北東部の山間部)に伝承される祭文です。 『牛頭天王島渡り』によれば、釈迦如来の入滅は、祇園精舎の守護神であるはずの牛頭天王がとり憑いたことによって成されたというのです。 しかも、ここでは、牛頭天王ご自身が“我は是(これ)日本行疫 ...
『大和葛城宝山記』解説3 一言主神 役行者 ワカタケル 役優婆塞 神変大菩薩
はじめての方は『大和葛城宝山記』解説1からどうぞ 『大和葛城宝山記』解説2のつづき 【読み下し文】一言主神〈飛行夜叉神の所変、孔雀王と号するは是れ也。 一乗無二の法を守護するの故に、一言主尊と名づく。故に当処を一乗の峯と名づくる也。 惟(ただ)是れ天神の降り坐します金剛坐の宝相なり。 住心品の国、仏法人法即一無弐平等の国、一切諸法、皆了、了覚、了知、正覚にして、自証三菩提の国なり。 之に因りて安国と名づけ、亦大和国と名づくる也。 我が国、昔海たる時、天、当峯に降りて、始めて国土を成じて、大日本国と名づく。 ...
『大和葛城宝山記』解説2 読み下し文 タカミムスビ イザナギ イザナミ アマテラス ニニギ 一言主神
『大和葛城宝山記』解説1 のつづき 【読み下し文】極天の祖神 高皇産霊皇帝〈此れを上帝と名づく。 是の高皇産霊尊は、極天の祖皇帝に坐します也。 故に皇王の祖師也〉 『日本書紀』では“高皇産霊尊(タカミムスビのみこと)、高木神(タカギノカミ)”とも表記されます。 『古事記』では“高御産巣日神(タカミムスビのかみ)”です。 高木神という別名の通り、巨木を神聖視し、そこに神を感得したことから名づけられたと考えられています。 「産霊(むすひ)」は自然界における生産力や生成力です。 高皇産霊尊(タカミムスビ)の娘・ ...
『大和葛城宝山記』解説1 読み下し文 行基菩薩 ビシュヌ
大和葛城宝山記(やまとかつらぎほうざんき)は、両部神道を代表する書の一つであり、大和葛宝山記、大和葛木宝山記、葛城宝山記、神祇宝山記とも呼ばれます。 奥書に“天平十七年辛酉四月一日”、とありますが、一般には鎌倉時代後期に成立したと考えられています。 大和葛城宝山記 行基菩薩撰 “大和(やまと)”は狭義には奈良、広義には日本を指します。 「葛城宝山」とは、奈良と大阪の県境に位置する葛城山(かつらぎさん)です。 撰者の行基菩薩(668-749)は、聖武天皇(701-756)・良弁僧正(689-774)・菩 ...
羊妙見菩薩2 羊太夫 行基菩薩
羊妙見菩薩1 平将門と平良文を助けた羊妙見菩薩のつづき 謀反と星神 平将門と平良文の連合軍を救った羊妙見菩薩が出現した“上野国(こうずけのくに)群馬(くるま)郡”という場所は、現在の群馬県高崎市にあたり、そこに建立された“七星山息災寺”は、現在の三鈷山妙見寺(天台宗)です。 妙見菩薩は北極星ですが、日本において星神は謀反、反乱を起こす側である例が多くみられます。 『日本書紀』巻第二 神代下 第九段本文に 【読み下し文】二神(ふたはしらのかみ)、遂(つい)に邪神(あしきかみ)及び草木石(くさきのいわ)の類を ...
羊妙見菩薩1 平将門と平良文を助けた羊妙見菩薩
平将門の首塚 千葉氏に関する文書である『千学集抄(せんがくしゅうしょう)』に、“羊妙見菩薩”という珍しい尊名が登場します。 この『羊妙見菩薩』を調べていくと、興味深い事柄がずるずると引きずり出てきます。 妙見菩薩は、千葉氏の守護神です。 千葉周作(1793-1856)が創始した剣術・薙刀術の流派である北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)の「北辰」も北辰妙見菩薩からです。 ちなみに、北辰一刀流が現在の剣道に直結した流派です。 『千学集抄』にも妙見菩薩の名が多く登場します。 『千学集抄』の成立年代は天正年間( ...
『大和葛城宝山記』読み下し文
大和葛城宝山記 行基菩薩撰 神祇 蓋し聞く、天地の成意、水気変じて天地と為ると。十方の風至りて相対し、相触れて能く大水を持(たも)つ。水上に神聖(かみ)化生して、千の頭二千の手足有り。常住慈悲神王と名づけて、違細と為す。是の人神の臍の中に、千葉金色の妙宝蓮花を出す。其の光、大いに明らかにして、万月の倶に照らすが如し。花の中に人神有りて結跏趺坐す。此の人神、復(また)無量の光明有り。名づけて梵天王と曰ふ。此の梵天王の心より、八子を生ず。八子、天地人民を生ずる也。此を名づけて天神と曰ふ。 亦天帝の祖神と称 ...
『二所大神宮麗気記』 読み下し文・現代語訳・解説 まとめ
「二所大神宮麗気記」は『麗気記』十八巻の冒頭です。 神変大菩薩(役小角)の説 【読み下し文】二所大神宮麗気記 蓋し以れば、去んじ白鳳年中に、金剛宝山に攀上りて、宝喜蔵王如来の三世常恒の説を聞けば 【現代語訳】二所大神宮麗気記 さて思いめぐらすに、去る白鳳年中に金剛宝山によじ登り、宝喜蔵王如来の三世常恒の説を聞いた 役小角(えんのおづの・634-701)は修験道の曩祖(のうそ)であり、役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)とも呼ばれ、諡号は神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)です。 ...
『先代旧事本紀』巻第三・天神本紀「饒速日尊(ニギハヤヒ)誕生から神去まで」<現代語訳・読み下し文・解説>まとめ
『先代旧事本紀』巻第三は、記紀(『日本書紀』と『古事記』)が伝えていない饒速日尊(ニギハヤヒ)の降臨が記された巻です。 この記事では、『先代旧事本紀』巻第三の冒頭から饒速日尊(ニギハヤヒ)が埋葬されるまでを記載しています。 この記事の読み下し文は 先代旧事本紀・訓註に由りました。 『先代旧事本紀』巻第三 天神本紀1 【現代語訳】先代旧事本紀 巻第三 天神本紀(あまつかみのもとつふみ) 忍穂耳尊(オシホミミのみこと)に、天照太神(アマテラスおおみかみ)は仰せられた。 「どこまでも葦原が続く永遠 ...
『先代旧事本紀』概要
『先代旧事本紀』は「せんだいくじほんぎ」、または「さきのよのふることのもとつふみ」と読み、「旧事本紀(くじほんぎ)」や「旧事紀(くじき)」とも呼ばれます。 全十巻から成り、天地開闢から推古天皇までの史書です。 『先代旧事本紀』の「序」によれば、本書は聖徳太子(574-622)と蘇我馬子(?-626)が編述したと伝えられます。 平安時代より長らく、『日本書紀』『古事記』と並ぶ三大史書とされてきました。 ところが、延宝七年(1679)に、『先代旧事本紀大成経(以下、『大成経』)』が発見されました。 この『大成 ...
『先代旧事本紀』と『古事記』の序文偽書説とその価値
『先代旧事本紀』 『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ or さきのよのふることのもとつふみ)』は、 中世までは、『日本書紀』についで『古事記』よりも重要視されてました。 現在は、偽書とされていますが、偽書とされる理由の一つが序文にあります。 『先代旧事本紀』の序文と偽書説 先代旧事本紀ノ序 大臣蘇我馬子宿祢等が勅を承りて修撰まつる。 夫、先代旧事本紀は聖徳太子の且て撰所なり。 上は『先代旧事本紀』の序文です。 蘇我馬子が記した序文に、聖徳太子と蘇我馬子が中心となり著述・編集されたとあります。 そのため、中 ...
古史古伝と偽書
『Wikipedia』によれば、 古史古伝(こしこでん)とは、日本の古代史で主要資料とされている「記紀(『古事記』と『日本書紀』)」などの史料とは著しく異なる内容歴史を伝える文献を一括して指す名称。種類が多い。また超古代文献・超古代文書ともいう。なお、古史古伝は今のところ、いずれも学界の主流からは偽書とみなされている。 とされています。 しかし、古史古伝の中には『先代旧事本紀』のように、記紀が伝えていない物部氏の伝承、神名、神武天皇の長男の神八井耳命の後裔のことなども伝え、物部氏の偽書とされながらも研究資 ...
神神習合=神仏習合の成立基盤 日本人の和のこころ
『神と仏の出逢う国 』(角川選書)の中で 著者の鎌田東二氏は 「神仏習合」が成立してくる基盤として 「神神習合」があった この神々自体が習合するという 文化基盤の上に 「神仏習合」という、日本列島における 神々と仏菩薩の出会いと相互関係性が 作り上げられていったと考え られてます。 オオクニヌシに別名が多いのはそのためでしょう。 以下はオオクニヌシの別名です。 大国主神(おおくにぬし の かみ) 大穴牟遅神(おおあなむぢ-) 大己貴命(おおなむち-) 大穴持命(おおあなもち) 大汝命(おおなむち-) 大名 ...
真言密教の血脈と三身説 法身普賢 金剛薩埵
この記事は、 真言密教の血脈のうち、 大日如来から龍猛菩薩までの 相承を三身説で説明することと、 チベット仏教ニンマ派の ゾクチェンの血脈にも 少しだけ触れてます。 真言密教は 真言教主・大日如来から始まり、 第二祖・金剛薩埵、 第三祖・龍猛菩薩へと伝えられました。 如来の三種類の存在形態を 「三身」といいます。 三身とは「法身」「報身」「応身」です。 法身とは、 色も形も無い一切の本性です。 報身は、 日本では解釈が数種あり、 統一されていませんが、 チベットにおいては 「報身は色身の根源 ...
大黒天と血を好む神と金剛薩埵による浄化
大黒天も、仏教とともにインドからやって来られました。 大黒天はインドの言葉で「マハーカーラ(大いなる暗黒)」 「摩訶迦羅天(まかきゃらてん)」と音写します。 日本の大黒天は満面の笑顔で福々しいですが、 胎蔵界曼荼羅の大黒天のように 本来は非常に禍々しいといっても差し支えないほど恐ろしい神なのです。 胎蔵界曼荼羅の大黒天 私が修行していたネパールのチベット仏教僧院は、 登山口にあったのですが、月に1回はビザの更新などの雑用で、 カトマンズの町に行かなければなりませんでした。 埃っぽいカトマンズ ...