『天地麗気記』書き下し文+現代語訳+解説 まとめ
題名 【書き下し文】 天地麗気記(かみつかたしもつかたうるはしきいきとうりをきす) この巻の題名です。近世の版本などでは、本巻を巻首に置いているので、『天地麗気記』を麗気記全体の総題とすることもあります。 神代七代・過去七仏・北斗七星 【書き下し文】天神七葉は、過去の七仏転じて天の七星と呈(あら)はる。 【現代語訳】天神七代は過去七仏であり、転じて天体の北斗七星として現れた。 “天神七代(かみつかたかけりましますななは)”とは、神代七代(かみのよななよ)と称されます。 『日本書紀』では、最初に為った以下の ...
『大和葛城宝山記』書き下し文+解説 まとめ
大和葛城宝山記(やまとかつらぎほうざんき)は、両部神道を代表する書の一つであり、大和葛宝山記、大和葛木宝山記、葛城宝山記、神祇宝山記とも呼ばれます。 奥書に“天平十七年辛酉四月一日”、とありますが、一般には鎌倉時代後期に成立したと考えられています。 大和葛城宝山記 行基菩薩撰 “大和(やまと)”は狭義には奈良、広義には日本を指します。 「葛城宝山」とは、奈良と大阪の県境に位置する葛城山(かつらぎさん)です。 撰者の行基菩薩(668-749)は、聖武天皇(701-756)・良弁僧正(689-774)・菩 ...
『中臣祓訓解』まとめ 真言密蔵の本源、天神地祇の父母なり
『中臣祓訓解(なかとみのはらえくんげ)』は日本国が神国であると同時に仏国土であるという中世神道の立場から、「中臣祓(なかとみのはらえ)」を解説しています。 中臣祓訓解 夫れ和光垂迹の起り、国史家牒に載すと雖(いえど)も、猶(な)を遺(のこ)る所有りて、本の意(こころ)を識(し)ること靡し。 聊(いささ)か覚王の密教に託(つ)げて、略して心地の要路を示すらく而已。 蓋(けだ)し開く、中臣祓(なかとみのはらへ)は、天津祝(あまのほさ)、太祝詞(たののんとことば)、伊弉那諾尊(いざなぎのみこと)の宣命なり。 天 ...
『中臣祓訓解』6 毘盧遮那は法身如来、盧舎那は報身如来、諸仏は応身如来なり
初めての方は『中臣祓訓解』1からどうぞ 『中臣祓訓解』5のつづき 承和二年丙辰二月八日、大仁王会の次に、東禅仙宮寺の院主大僧都、吉津御厨(きつのみくりや)の執行の神主河継に授け給ふ伝記に曰はく、「神は是れ天然不動の理、即ち法性身なり。 故に虚空神を以て実相と為て、大元尊神と名づく。 所現を照皇天と曰ふ。 日と為り月と為る。 永く懸(かか)りて落ちず。 神と為り皇と為る。 常に以て不変なり。 衆生業起するが為に、宝基須弥の磬鏡を樹(た)てて、三界を照し、万品を利す。 故に遍照尊と曰ひ、亦は大日霊尊と曰ふ。 ...
『中臣祓訓解』4 瀬織津比咩神(せをりつひめ) 速須戔鳥尊=焔羅王
初めての方は『中臣祓訓解』1からどうぞ 『中臣祓訓解』3のつづき 天津神天磬門押披(あまつかみはあまのいはとをおしひらき) 〈天照大神《照皇太子》、高皇産霊神《高貴尊》、天御中主神《照皇天子》、御気津神。豊受太神と号ふは是れなり。亦日なり。〉 国津神高山之末(くにつかみはたかやまのすへ) 〈須弥山〉。短山之末(みじかやまのすへ)〈七金山〉。 伊恵理(いほり) 〈宮殿なり。謂はく、国津神、大神、大倭、葛木、鴨、出雲大己貴、事代主神の類なり。伊恵理、是れは謂はく、廬戸宮なり。〉 所聞食(きこしめすところ) 〈 ...
『中臣祓訓解』3 天津罪(あまつつみ) 国津罪(くにつつみ)
初めての方は『中臣祓訓解』1からどうぞ 『中臣祓訓解』2のつづき 天之益人等(あまのますとら)が 〈謂はく、一日に千人死にしとき、一日に千五百人生(あれま)す。是れ伊弉那諾尊と伊弉那美尊との誓願なり。故に天の益人(ますと)と名づくるなり。天と号づくるは、大日宮、世界国土、一切の我等衆生を作るが故なり。皆是れ国土日月の中に住する者なり。故に天の益人と曰ふ。其の事理を辨ずれば、其の本源を明らむるに、一切衆生、続生入胎の初め、先づ虚空に住す。其の後漸々にして形五輪の躰と成る。次に五輪反じて人の躰と ...
『中臣祓訓解』2 天照太神、豊受大神、高皇産霊神、神皇産霊神、津速産霊神、正哉吾勝尊
『中臣祓訓解』1のつづき 神聖其の中に座せり。 名づけて大日霊貴と曰(まう)す。 当に知るべし、生を此の国に受けたる衆生は、仏威神力を承けて、諸仏と共に其の国に遊ぶ。 是れ則ち仏説なり。 是れ我が言にあらずと云々。 以下は、『中臣祓』本文の解説になります。 太字が『中臣祓』本文、〈〉内が解説です。 ※参考『中臣祓』 高天原に 〈色界の初禅、梵衆の天なり。三光天。南贍浮樹の下、高庫蔵是なり。五蔵の中の大蔵なり。故に万宝の種を納む。〉 神留り坐す 〈天照太神、豊受大神、高皇産霊神、神皇産霊神、津速産霊神、正哉 ...
『中臣祓訓解(なかとみのはらえくんげ)』1
『中臣祓訓解(なかとみのはらえくんげ)』は日本国が神国であると同時に仏国土であるという中世神道の立場から、「中臣祓(なかとみのはらえ)」を解説しています。 中臣祓訓解 夫れ和光垂迹の起り、国史家牒に載すと雖(いえど)も、猶(な)を遺(のこ)る所有りて、本の意(こころ)を識(し)ること靡し。 聊(いささ)か覚王の密教に託(つ)げて、略して心地の要路を示すらく而已。 蓋(けだ)し開く、中臣祓(なかとみのはらへ)は、天津祝(あまのほさ)、太祝詞(たののんとことば)、伊弉那諾尊(いざなぎのみこと)の宣命なり。 天 ...
『中臣祓(なかとみのはらへ)』解説と本文
「中臣祓(なかとみのはらえ)」は、「中臣祓(なかとみのはらえ)」の他に「中臣祭文(なかとみのさいもん)」や『大中臣経(おおなかとみきょう)』ともよばれる祝詞です。 『延喜式(えんぎしき)』巻八の「六月晦大祓(大祓詞)」をもとにして作られたとされており、大祓詞(おおはらへのことば)と混同されるが、同じではありません。 12世紀成立の『朝野群載(ちょうやぐんさい)』巻六に「中臣祭文」として収録されたものが、現存最古とされています。 東大寺の修二会などでも中臣祓が唱えられているそうですが、中臣祓を唱える密教修法 ...
『天地麗気記』解説7 神武天皇 神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)
はじめての方は『天地麗気記』解説1からどうぞ 『天地麗気記』解説6のつづき 【書き下し文】 日本磐余彦天皇(やまといはよひこすへらみこと) 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の第四子也。 母(いろは)は玉依姫と日ふ。 海童(わたつみ)の大女(おほむすめ)也。 日本の人皇の始、天照太神五代の孫(みまこ)也。 庚午の歳誕生(みあれ)ますと云々。 【現代語訳】日本磬余彦天皇(やまとイワレビコのすめらみこと) 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の第四子。 母は海童の長女・玉依姫と言う。 日本の人皇の始めで、天照大神か ...
『天地麗気記』解説6 天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅
はじめての方は『天地麗気記』解説1からどうぞ 『天地麗気記』解説5のつづき 【書き下し文】天照皇大神、宝鏡を持して祝(ほ)ぎて宣(のたま)はく。 「吾児、此の宝鏡を視(みそな)はしめて、当猶視吾(わかかたしろとて)、与(とも)に床(ゆか)を同じく殿(みあらか)に共(なら )べて、以て、斎鏡と為(たてまつ)るべし。宝祚(あまのひつき)の隆(さか)へしほど、当(まさ)に天壌窮無(あめつちきはまることな)く与(しら)すべし。」 【現代語訳】天照皇大神が、宝鏡を持って言祝(ことほ)いで言われた。 「吾が児よ、この ...
『天地麗気記』解説5 忍穂耳尊 瓊瓊杵尊 十種の神宝 祝詞 神歌 呪 真言
はじめての方は『天地麗気記』解説1からどうぞ 『天地麗気記』解説4のつづき 【書き下し文】伊弉諾・伊弉冉二神の尊、左の手に金鏡を持ちて陰(めみか)を生(あれま)す。 右の手に銀鏡を持ちて陽(をかみ)を生(あれま)す。 名を日天子・月天子と曰(もう)す。 是、一切衆生の眼目と坐(なりましま)す。 故に、一切の火気、変じて日と成り、一切の水気、変じて月と成る。 三界を建立するは日月是也。 時に羸都鏡・辺都鏡を以て、国璽尊霊(くにのしるしのみことのみたま)と為して、日神・月神の自ら天宮に送て、六合(あめのした) ...
『天地麗気記』解説4 大日孁貴 天照皇大神 尸棄大梵天王 光明大梵天王 月読尊(ツキヨミ) 伊勢神宮
はじめての方は『天地麗気記』解説1からどうぞ 『天地麗気記』解説3のつづき 【書き下し文】側(ほのか)に聞く、本在より以降、二界遍照の如来は幽契為(みとのまくはいし)て所産(あれま)す、一女三男あり。 一女は天照皇大神、地神の始の玉(みたま)の霊(みたま)、霊鏡大日孁貴(おおひるめのむち)は、端厳美麗に坐す。 【現代語訳】また聞くところによると、その後、金胎の大日如来である伊弉諾・伊弉冉の二神が交合をして一女三男を産んだ。 一女とは天照皇大神であり、地神の始めの玉霊であり、霊鏡・大日孁貴は、端厳美麗でおら ...
『天地麗気記』解説3 国常立尊(クニトコタチ) 国狭槌尊(クニサツチ) 豊斟淳尊(トヨクムヌ) 大日如来
はじめての方は『天地麗気記』解説1からどうぞ 『天地麗気記』解説2のつづき 【書き下し文】国狭槌尊〈毘盧遮那仏〉 豊斟淳尊〈盧遮那仏〉 此の二神(ふたはしらのみこと)、天に浮(のほ)り地(くに)に跡(くた)りて、報応の二身、青黒二色の宝珠也。 青色は衆生果報の宝珠、黒色は無明調伏の宝珠なり。 三神神(みはしらのかみいま)す葉木国(はこくに)漂蕩(たたよ)えり。 状貌(かたち)、鶏子(とりのこ)の如し。 【現代語訳】国狭槌尊(クニサツチ)〈毘盧遮那仏〉 豊斟淳尊(トヨクムヌ)〈盧舎那仏〉 この二神は天上に上 ...
『大和葛城宝山記』5 釈迦牟尼仏 波羅提木叉 天御中主神 天照太神 瓊瓊杵尊 乳海攪拌
はじめての方は『大和葛城宝山記』解説1からどうぞ 『大和葛城宝山記』解説4のつづき 釈迦牟尼仏、初めて菩提樹下に生まれて、無上の正覚を成ず。 初めて菩薩の波羅提木叉を結び、父母師僧三宝に孝順をなし、孝順至道の法の孝を名づけて戒と為す。 亦制止と名づく。 波羅提木叉(はらだいもくしゃ)は、梵語のプラーティモークシャの音訳。 意訳は、戒本、別々解脱、別解脱。 “制止”=戒 即ち口に無量の光明を放てり。 是の時、百億の大衆、諸菩薩、十八梵天、六欲天子、十六大国王、掌を合はせ心を至して、仏の誦する一切仏の大乗戒を ...
『大和葛城宝山記』解説4 天御中主尊(アメノミナカヌシ) 大梵天王 天照皇大神(アマテラス) 観音菩薩 大日如来
はじめての方は『大和葛城宝山記』解説1からどうぞ 『大和葛城宝山記』解説3のつづき 伝に曰はく 劫初に神聖在り。常住慈悲神王と名づけ〈法語に尸棄大梵天王と曰い、神語に天御中主尊と名づく〉大梵天宮に居る。 衆生等の為に。 広大なる慈悲誠心を以てす。 ここで『大和葛城宝山記』1では違細(ビシュヌ)とされた“神聖”が、梵天(ブラフマー)であり、天御中主尊(アメノミナカヌシ)とされています。 『大和葛城宝山記』1では、違細(ビシュヌ)のヘソの蓮に生じた梵天が天御中主尊(アメノミナカヌシ)を含む八子を生じたとされて ...
『天地麗気記』解説2 国常立尊(クニトコタチ)=大毘盧遮那仏(大日如来)
初めての方は『天地麗気記』解説1からどうぞ 【書き下し文】神財の戦具は、十種の玉神鏡神本霊(みたまのみたまのみたまのみことのもとのみたま)、本(はし)めて覚れば、天国(あまくに)の璽(しるし)・地神の印、百宝千宝は百大僧祗劫の劫数にして無量無数劫も変らず常住にして、三種の神物は我が五世の時に余れる置(ことな)し。 是も以て尊重(みこととおも)く為して、相並びて崇敬(あかめうやま)い奉るべき本の御霊(みたま)は金色の如意宝珠、浄菩提心の宝珠と為る。 是、国常立尊(くにとこたちのみこと)の心神(みたまのみたま ...
『天地麗気記』解説1 神代七代 過去七仏 地神五代 賢劫十六尊 天照大神 大日如来
題名 【書き下し文】 天地麗気記(かみつかたしもつかたうるはしきいきとうりをきす) この巻の題名です。近世の版本などでは、本巻を巻首に置いているので、『天地麗気記』を麗気記全体の総題とすることもあります。 神代七代・過去七仏・北斗七星 【書き下し文】天神七葉は、過去の七仏転じて天の七星と呈(あら)はる。 【現代語訳】天神七代は過去七仏であり、転じて天体の北斗七星として現れた。 “天神七代(かみつかたかけりましますななは)”とは、神代七代(かみのよななよ)と称されます。 『日本書紀』では、最初に為った以下の ...
『麗気記』の著者について ※2019.9.9更新
『麗気記』は神仏習合の代表的な論書です。 『麗気記』は「れいきき」、あるいは「まことをおほしめさるるき」とも読みます。 著者には諸説あり、聖徳太子説、役行者説、弘法大師・空海説、伝教大師・最澄説、醍醐天皇説があります。 弘法大師・空海説 十八巻からなりますが、巻末の「豊受大神宮継文」は本来『麗気記』とは無関係で江戸時代に添加されました。 この「豊受大神宮継文」に「沙門空海撰」とあったため、『麗気記』全体が弘法大師作と一般に伝えられたようです。 寛文十二年(1672)刊の版本にも「沙門空海撰」とされてます。 ...
石室神社 石廊崎 役行者 熊野権現
石室神社 石室神社(いろうじんじゃ)は、石廊権現(いろうごんげん)、また石廊崎(いろうざき)にいちするので石廊崎権現とも呼ばれますが、古くは伊波例命神社(いはれのみことじんじゃ)と呼ばれていたそうです。 所在地・静岡県賀茂郡南伊豆町石廊崎 役行者が葛城山の一言主神(ヒトコトヌシ)の讒言によって伊豆大島へ流刑となったとき、毎晩、孔雀明王法によって飛行して富士山で修行していたと伝えられていますが、「石廊山金剛院縁起」によれば、伊豆大島へ流刑の際、十一面施無畏の神力を得てこの地に至ったとされています。 石室神社 ...