坐禅三昧経

2021/3/7

『坐禅三昧経』25「第五 等分を治するの法門」2 三十二相

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』24のつづき 是くの如く心に過去仏を想見するに、初めて降神(ごうしん)せる時、天地を震動せしめ、三十二相の大人の相有り。 一つには、足下安平(あんびょう)にして立てり。 二つには、足下に千輻(せんぷく)の輪あり。 三つには、指、長くして好(よ)し。 四つには、足跟(そっこん)広し。 五つには、手足の指、合して縵網(まんもう)あり。 六つには、足趺(そくふ)、高く平らかにして好し。 七つには伊尼延鹿(いにえんろく)の【足+専】(こむら)なり。 八つには ...

2021/2/20

『坐禅三昧経』24「第五 等分を治するの法門」1

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』23のつづき 第五 等分を治するの法門 第五の法門は等分を治するの行なり。 重罪に及べる人、仏を求索す。 是くの如き人等、当に一心念仏三昧を教うべし。 念仏三昧に三種の人有り。 或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習するなり。 若し初めて行を習する人ならば、将に仏像の所に至らんとし、或いは自らをして往きて仏像の相好(そうごう)を諦観(たいかん)して、相相明了ならしめ、一心に取持し、還りて静処に至り、心眼もて仏像を観ぜよ。 意をし ...

2021/3/4

『坐禅三昧経』23「第四 思覚を治するの法門」11

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』22のつづき 問いて曰く、 「何を以ての故(ゆえ)に故(ことさ)らに喜を作すや」と。 答えて曰く、 「二種の心を治せんと欲す。 或いは散心にして、或いは摂心なり。 是くの如く心を作(な)さば、煩悩を出(い)だすを得ん。 是の故に法を念じて心に喜を作すなり。 復た次に、若し心、悦ばずんば、勧勉して喜ばしめん。 心、摂を作すの時、亦た息の入出するを念ぜよ。 設(も)し心、定まらずんば、強状して定まらしむ。 経中に説けるが如く、心、定まらば、是れ道にして、 ...

2021/2/16

『坐禅三昧経』22「第四 思覚を治するの法門」10

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』21のつづき 問いて曰く、 「何を以ての故に止なるや」と。 答えて曰く、 「諸もろの思覚を断ずるが故なり。 心、散ぜざるが故なり。 数・随の息の時、心、定まらずして、心、劇すること多きが故なり。 止なれば、則ち心、閑にして事少なきが故なり。 心、一処に住するが故に息の出入を念ずるなり。 譬うるに、門を守るの人の門辺に住して、人の入出を観ずるが如し。 止の心も爾(しか)り。 息の出づるの時、臍・心・胸・咽より口鼻に至り、息の入るるの時、口・鼻・咽・胸・ ...

2021/2/16

『坐禅三昧経』21「第四 思覚を治するの法門」9

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』20のつづき 問いて曰く、 「入出の息は是れ一息なり。 何を以ての故なるや。 息を出ださば、還た更に入るるが故なり。 譬うるに、水を含まば、水、暖かく、水を吐かば、水、冷たきが如し。 冷たきは還た暖まり、暖かきは還た冷(ひ)ゆるが故なり」と。 答えて曰く、 「爾(しか)らず。内に心、動ずるが故に、息の出づる有り。 出で己(お)わらば、即ち滅す。 鼻口、外を引かば、則ち息を入るる有り。 入るるが故に、息、滅す。 亦た将に出でんとする無く、亦た将に入らん ...

2021/2/16

『坐禅三昧経』20「第四 思覚を治するの法門」8

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』19のつづき 問いて曰く、 「若し餘の不浄・念仏等の四観中なるも亦た思覚を断ずるを得るや。 何を以ての故に、独り数息のみなるや」と。 答えて曰く、 「餘の観法、寛(ゆる)やかにして失し難きが故なり。 数息法、急(にわか)にして転じ易きが故なり。 譬うるに、牛を放ちて、牛の失し難きを以ての故に、之れを守るに事少なきが如く、獮猴(みこう)を放たば失し易きを以ての故に、之れを守るに事多きが如し。 此れも亦た是くの如し。 数息は心に数えて、少時も他念するを得 ...

2021/2/12

『坐禅三昧経』19「第四 思覚を治するの法門」7

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』18のつづき 問いて曰く、「云何が不死覚を除かんや」と。 答えて曰く、「応に行ずる者に教うべし。 好き家に生まるるが若(ごと)き、種族の子にして才技力勢、人に勝れたるが若きは、一切念ずる莫かれ。 何を以ての故なるや。 一切の死せる時、老少貴賤・才技力勢を観ぜず。 是の身は是れ一切の憂悩の諸もろの因縁にして、因りて自ら少多の寿を見るなり。 安穏を得るが若きは、是れ痴人と為す。 何を以ての故なるや。 是れ憂悩と謂い、因依せるは是れ四大なり。 四大、色を造 ...

2021/1/20

『坐禅三昧経』18「第四 思覚を治するの法門」6

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』17のつづき 問いて曰く、「云何が国土覚を除かんや」と。 答えて曰く、 「行ずる者、若(も)し是の国土の豊楽安穏(ぶらくあんのん)にして諸もろの好き人多しと念ずれば、恒に国土の覚縄(かくじょう)の牽(ひ)くところと為らん。 将(まさ)に罪処の覚心を去らしめんとせば、是くの如くせよ。 若し智人有らば、応に念著すべからず。 何を以ての故なるや。 国土の種種なる過罪の焼くところの時節もて転ずるが故に。 亦た飢餓有りて、身の疲れ、極まれるが故に。 一切の国土 ...

2021/1/20

『坐禅三昧経』17「第四 思覚を治するの法門」5

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』16のつづき 問いて曰く、「如何が親里覚を除かんや」と。 答えて曰く、「応に是くの如く念ずべし。 世界に生死(しょうじ)せる中に自ら業縁もて牽(ひ)かる。 何者ぞ是れ親なるや。 何者ぞ親に非ざるや。 但(た)だ愚痴を以てするが故に、横(よこし)まに著心を生じて計りて我が親と為すのみなり。 過去世に親に非ざるをば親と為し、未来世に親に非ざるをば親と為す。 今世に是れ親なるは過去に親に非ず。 譬うるに、鳥、栖(す)みて、暮れに一樹に集まるも、晨(あした) ...

2021/1/14

『坐禅三昧経』16「第四 思覚を治するの法門」4

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』15のつづき 問いて曰く、「云何が悩覚を除かんや」と。 p78L1 答えて曰く、 「衆生の百千種の 諸病、更互(こうご)して恒に来たりて悩まさる 死賊、捕らえて伺い、常に殺さんと欲し 無量の衆苦もて自ら沈没す 云何が善人も復た悩を加えんや 讒謗(ざんぼう)謀害して慈仁無くんば 未だ彼れを傷つくるに及ばざるも、 殃(わざわ)いを身に被(こうむ)る 俗人、悩を起こすは、是れ恕(じょ)すべし 此の事、世法にして悪行の因なるも 亦た自ら『我れ善を修せり』と言 ...

2021/2/12

『坐禅三昧経』15「第四 思覚を治するの法門」3

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』14のつづき 問いて曰く、「云何が瞋恚覚を滅せんや」と。 答えて曰く、 「胎中より来(き)たり生じて常に苦なるも 是の中に衆生、瞋悩莫(な)し 若し瞋悩を念ぜば、慈悲滅し 慈悲・瞋悩、相い比(たぐ)いせず 汝よ、慈悲を念ぜば、瞋悩滅す 譬うるに明・闇の処を同じうせざるが如し 若し浄戒を持するも瞋恚を念ぜば 是の人、自ら法利を毀破せるなり 譬うるに、諸もろの象の水に入りて浴し 復た泥土を以て身に塗坌(ずふん)せるが如し 一切は常に老病死有りて 種種なる ...

2021/2/12

『坐禅三昧経』14「第四 思覚を治するの法門」2

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』13のつづき 問いて曰く、「未だ道を得ずんば、結使(けっし)、未だ断だず。六つの思覚、強くして心より乱を生ず。云何が能(よ)く除かんや」と。 答えて曰く、「心に世間を厭(いと)い、能く遮するを正観せば、而ち未だ能く抜かざるも、後ち無漏道を得て、能く結使の根本を抜かん。 何をか正観と謂うや。 多欲の人の欲するを求むるを見るは苦なり 之れを得て守護するは是れも亦た苦なり 之れを失いて憂悩するも亦た大苦なり 心に欲するを得る時に満つること無きは苦なり 欲は ...

2021/1/11

『坐禅三昧経』13「第四 思覚を治するの法門」1

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』12のつづき 第四 思覚を治するの法門 若し思覚偏多なれば、当に阿那般那三昧(あなはんなざんまい)の法門を習すべし。 三種の学人有り。 或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習するなり。 若し初めて行を習せば、当に教うべし。 言わく、「一心に数を念じて息を入れ息を出(い)だせよ。 若しくは長く、若しくは短く、数えて一より十に至れよ」と。 若し已に行を習せば、当に教うべし。 言わく、「数えて一より十に至り、息の入出に随いて、念と息と ...

2021/2/12

『坐禅三昧経』12「第三 愚痴を治するの法門」

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』11のつづき 第三 愚痴を治するの法門 「若し愚痴なること偏多なれば、当に三種の思惟法門を学ぶべし。 或いは初めて行を習し、或いは巳に行を習し、或いは久しく行を習するなり。 若し初めて行を習せば、当に教うべし。 言わく、『生は老死に縁り、無明は行に縁る。 是くの如く思惟して外念あらしめず、外念の諸縁、之れを摂して還らしむ』と。 若し巳に行を習せば、当に教うべし。 言わく、『行は識に縁(よ)り、識は明色(みょうしき)に縁り、明色は六入(ろくにゅう)に縁 ...

2021/1/11

『坐禅三昧経』11「第二 瞋恚を治するの法門」2

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』10のつづき 問いて曰く、 「親愛・中人、楽を得せしめらるるを願うも、怨憎の悪人、云何が隣愍して復た楽を与うるを願うや」と。 答えて曰く、 「応に彼れに楽を与うべし。 所以は何ぞ。 其の人、更に種種なる好き清浄なる法因有り。 我れ今ま云何が豈(あ)に一怨を以ての故に其の善を没すべけんや。 復た次に思惟するに、是の人、過去世の時に、或いは是れ我が親善ならん。 豈に今まの瞋を以て更に怨悪を生ぜしめんや。 我れ当に彼れを忍ぶべし。 是れ我が善利なり。 又た ...

2020/10/16

『坐禅三昧経』10「第二 瞋恚を治するの法門」1 慈もて怨憎に及ぼせよ

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』9のつづき  第二 瞋恚を治するの法門 若し瞋恚偏多ならば、当に三種の慈心の法門を学ぶべし。 或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習するなり。 若し初めて行を習せば、当に教うべし。 言わく、「慈もて親愛に及ぼせよ。云何(いかん)が親に及ぼし、親(しん)に楽(らく)を与(あた)うるを願うや。 行ぜる者、若し種種なる身心の快楽を得、寒き時に衣を得、熱き時に涼しきを得、飢渇すれば飲食(おんじき)を得、貧賤なれば富貴を得、行、極まるの時 ...

2020/10/14

『坐禅三昧経』9 「第一 貪欲を治するの法門」2 浄観も亦た三品有り。若し禅定を得ば、即ち三相あり

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』8のつづき 復た次に浄観も亦た三品有り。 或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習すなり。 若し初めて行を習せば、当に教うべし。 言わく、「皮を破するの想を作し、不浄を除却して、当に赤き骨人を観ずべし。 意を繁して観行し、外念あらしめず。 外念の諸縁は、念を摂して還らしむ」と。 若し已に行を習せば、当に教うべし。 言わく、「皮肉を却(しりぞ)けて尽くるを想し、頭骨を観じて、外念あらしめず。 外念の諸縁は、念を摂して還らしむ」と。 ...

2020/10/7

『坐禅三昧経』8 「第一 貪欲を治するの法門」1 不浄観

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』7のつづき 第一 貪欲を治するの法門 「婬欲の多き人、不浄観を習(しゅう)せよ。 足より髪に至るまで、不浄充満す。 髪・毛・爪・歯・薄皮・厚皮・血・肉・筋・脈・骨・髄・肝・肺・心・脾(ひ)・腎・胃・大腸・小腸・屎・尿・洟(はなみず)・唾・汗・涙・垢・坋(ちり)・膿・脳・胞・胆・痰水・微膚・脂肪・脳膜、身中の是くの如きは種種の不浄なり。 復た次に不浄漸(すす)まば、青瘀(しょうお)し、膖脹(ほうちょう)し、破爛し、血、流れて塗漫(ずまん)し、臭膿、噉食 ...

2020/10/2

『坐禅三昧経』7 是くの如く種種なるは、是れ愚痴の相なり。

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』6のつづき 愚痴の人の相は、疑うこと多く、悔やむこと多く、懶堕にして見無し。 自ら満ちて屈し難く、憍慢(きょうまん)にして受け難し。 信ずべきは信ぜず、信に非ざるは而(すなわ)ち信ず。 恭敬(くぎょう)なるを知らずして処処に信向し、師多く、軽躁(きょうそう)にして搪突(とうとつ)を羞ずる無し。 事を作さば慮り無く、教えに反(そむ)きて渾戻(こんれい)す。 友に親しむを択(えら)ばず、自ら修飾せず。 異道を師とするを好み、善悪を別(わ)かたず。 受け難 ...

2020/9/28

『坐禅三昧経』6 是くの如く種種なるは、是れ瞋恚の相なり。

はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』5のつづき 瞋恚の人の相は、憂悩多く、卒暴に忿(いか)りを懐き、身口麁廣(しんくそこう)にして、能く衆苦を忍び、事に触れて可ならず。 愁(うれ)い多くして歓ぶこと少なく、能く大悪を作して、憐愍の心無く、喜びて闘訟(とうしょう)を為す。 顔貌毀悴(きすい)して、皴眉眄來(しゅうびべんらい)なり。 語り難く悦び難く、事(つか)え難く可とし難し。 其の心、瘡(そう)の如くして、人の義に闕(か)くるを宣(の)べ、論ずること強梁(ごうりょう)にして折伏(しゃく ...

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