敦煌菩薩と『鹿母経』 竺法護『盂蘭盆経』
盂蘭盆会(うらぼんえ)の典拠(てんきょ)とされる『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』は敦煌菩薩(とんこうぼさつ)とも月氏菩薩(げっしぼさつ)とも尊称(そんしょう)された竺法護(じくほうご 239年 - 316年)の訳です。敦煌は地名、月氏は敦煌を含む東アジアから中央アジアにいた遊牧民の氏族(しぞく)です。 竺法護は敦煌で生まれ、8歳で出家し、竺高座(じくこうざ)について学んだので「竺」姓を名乗るようになりました。そのころの中国に伝えられていた大乗経典は数少なかったので、竺法護は師とともに大乗経典を求めて西域三十 ...
『即身成仏義』弘法大師・空海
即身成仏義 問うて曰く、諸の経論の中に、皆三劫成仏を説く。いま即身成仏の義を建立する、何の憑拠か有るや。 答う、秘密蔵の中に如来、是の如く説き給う。 問う、彼の経に云何が説く。 『金剛頂経』に説かく、 「この三昧を修する者は、現に仏の菩提を証す」(不空訳『金剛頂一字頂輪王瑜伽一切時処念誦成仏儀軌』(略称『一切時処念誦成仏儀軌』) <この三昧とは、謂く大日尊一字頂輪王の三摩地なり>と また云く、 「もし衆生有って、この教に遇って、昼夜四時に精進して修すれば、現世に歓喜地を証得し、後の十六生に ...
「五悔」 普賢行願讃
真言密教では「普賢行願讃」ではなく、金剛界は「五悔」、胎蔵界では「九方便」を読誦する。 伝統説では「普賢行願」と「五悔」と「九方便」は異名同体であり、同じ内容であるとされる。 五悔は、「至心帰命」「至心懺悔」「至心隋喜」「至心勧請」「至心廻向」の五段からなる。 「至心懺悔」だけでなく他の段も「悔」というのは、過去に行願を実践しなかった過失と、行願に背いた罪を懺悔する意味がある。 第一 至心帰命 十方一切の仏と最勝の妙法と菩提衆とを帰命したてまつる。 身口意清浄の業を以て、慇懃に合掌し恭敬して礼したてまつる ...
『坐禅三昧経』25「第五 等分を治するの法門」2 三十二相
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』24のつづき 是くの如く心に過去仏を想見するに、初めて降神(ごうしん)せる時、天地を震動せしめ、三十二相の大人の相有り。 一つには、足下安平(あんびょう)にして立てり。 二つには、足下に千輻(せんぷく)の輪あり。 三つには、指、長くして好(よ)し。 四つには、足跟(そっこん)広し。 五つには、手足の指、合して縵網(まんもう)あり。 六つには、足趺(そくふ)、高く平らかにして好し。 七つには伊尼延鹿(いにえんろく)の【足+専】(こむら)なり。 八つには ...
『坐禅三昧経』24「第五 等分を治するの法門」1
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』23のつづき 第五 等分を治するの法門 第五の法門は等分を治するの行なり。 重罪に及べる人、仏を求索す。 是くの如き人等、当に一心念仏三昧を教うべし。 念仏三昧に三種の人有り。 或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習するなり。 若し初めて行を習する人ならば、将に仏像の所に至らんとし、或いは自らをして往きて仏像の相好(そうごう)を諦観(たいかん)して、相相明了ならしめ、一心に取持し、還りて静処に至り、心眼もて仏像を観ぜよ。 意をし ...
『坐禅三昧経』23「第四 思覚を治するの法門」11
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』22のつづき 問いて曰く、 「何を以ての故(ゆえ)に故(ことさ)らに喜を作すや」と。 答えて曰く、 「二種の心を治せんと欲す。 或いは散心にして、或いは摂心なり。 是くの如く心を作(な)さば、煩悩を出(い)だすを得ん。 是の故に法を念じて心に喜を作すなり。 復た次に、若し心、悦ばずんば、勧勉して喜ばしめん。 心、摂を作すの時、亦た息の入出するを念ぜよ。 設(も)し心、定まらずんば、強状して定まらしむ。 経中に説けるが如く、心、定まらば、是れ道にして、 ...
『坐禅三昧経』22「第四 思覚を治するの法門」10
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』21のつづき 問いて曰く、 「何を以ての故に止なるや」と。 答えて曰く、 「諸もろの思覚を断ずるが故なり。 心、散ぜざるが故なり。 数・随の息の時、心、定まらずして、心、劇すること多きが故なり。 止なれば、則ち心、閑にして事少なきが故なり。 心、一処に住するが故に息の出入を念ずるなり。 譬うるに、門を守るの人の門辺に住して、人の入出を観ずるが如し。 止の心も爾(しか)り。 息の出づるの時、臍・心・胸・咽より口鼻に至り、息の入るるの時、口・鼻・咽・胸・ ...
『坐禅三昧経』21「第四 思覚を治するの法門」9
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』20のつづき 問いて曰く、 「入出の息は是れ一息なり。 何を以ての故なるや。 息を出ださば、還た更に入るるが故なり。 譬うるに、水を含まば、水、暖かく、水を吐かば、水、冷たきが如し。 冷たきは還た暖まり、暖かきは還た冷(ひ)ゆるが故なり」と。 答えて曰く、 「爾(しか)らず。内に心、動ずるが故に、息の出づる有り。 出で己(お)わらば、即ち滅す。 鼻口、外を引かば、則ち息を入るる有り。 入るるが故に、息、滅す。 亦た将に出でんとする無く、亦た将に入らん ...
『坐禅三昧経』20「第四 思覚を治するの法門」8
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』19のつづき 問いて曰く、 「若し餘の不浄・念仏等の四観中なるも亦た思覚を断ずるを得るや。 何を以ての故に、独り数息のみなるや」と。 答えて曰く、 「餘の観法、寛(ゆる)やかにして失し難きが故なり。 数息法、急(にわか)にして転じ易きが故なり。 譬うるに、牛を放ちて、牛の失し難きを以ての故に、之れを守るに事少なきが如く、獮猴(みこう)を放たば失し易きを以ての故に、之れを守るに事多きが如し。 此れも亦た是くの如し。 数息は心に数えて、少時も他念するを得 ...
令和三年の当年星供 星まつり
2月2日19時より、当年星供を厳修いたしました。 感染防止のため、今年は助法なしで一人で修法しました。 願主の方々の除災招福とあわせて、コロナ禍の早期終息を祈願いたしました。 今年は例年よりもたくさんの方からお申込みいただき、また、お申込みと合わせてお布施、お供物をいただきました。心より感謝申し上げます。 ※祈願申し込みいただきました方には、御札とカードお守りとお供物をお送りさせていただきます。郵送までは例年よりも少しお時間いただきますことご了承ください。 合掌
『坐禅三昧経』19「第四 思覚を治するの法門」7
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』18のつづき 問いて曰く、「云何が不死覚を除かんや」と。 答えて曰く、「応に行ずる者に教うべし。 好き家に生まるるが若(ごと)き、種族の子にして才技力勢、人に勝れたるが若きは、一切念ずる莫かれ。 何を以ての故なるや。 一切の死せる時、老少貴賤・才技力勢を観ぜず。 是の身は是れ一切の憂悩の諸もろの因縁にして、因りて自ら少多の寿を見るなり。 安穏を得るが若きは、是れ痴人と為す。 何を以ての故なるや。 是れ憂悩と謂い、因依せるは是れ四大なり。 四大、色を造 ...
『坐禅三昧経』18「第四 思覚を治するの法門」6
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』17のつづき 問いて曰く、「云何が国土覚を除かんや」と。 答えて曰く、 「行ずる者、若(も)し是の国土の豊楽安穏(ぶらくあんのん)にして諸もろの好き人多しと念ずれば、恒に国土の覚縄(かくじょう)の牽(ひ)くところと為らん。 将(まさ)に罪処の覚心を去らしめんとせば、是くの如くせよ。 若し智人有らば、応に念著すべからず。 何を以ての故なるや。 国土の種種なる過罪の焼くところの時節もて転ずるが故に。 亦た飢餓有りて、身の疲れ、極まれるが故に。 一切の国土 ...
『坐禅三昧経』17「第四 思覚を治するの法門」5
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』16のつづき 問いて曰く、「如何が親里覚を除かんや」と。 答えて曰く、「応に是くの如く念ずべし。 世界に生死(しょうじ)せる中に自ら業縁もて牽(ひ)かる。 何者ぞ是れ親なるや。 何者ぞ親に非ざるや。 但(た)だ愚痴を以てするが故に、横(よこし)まに著心を生じて計りて我が親と為すのみなり。 過去世に親に非ざるをば親と為し、未来世に親に非ざるをば親と為す。 今世に是れ親なるは過去に親に非ず。 譬うるに、鳥、栖(す)みて、暮れに一樹に集まるも、晨(あした) ...
『坐禅三昧経』16「第四 思覚を治するの法門」4
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』15のつづき 問いて曰く、「云何が悩覚を除かんや」と。 p78L1 答えて曰く、 「衆生の百千種の 諸病、更互(こうご)して恒に来たりて悩まさる 死賊、捕らえて伺い、常に殺さんと欲し 無量の衆苦もて自ら沈没す 云何が善人も復た悩を加えんや 讒謗(ざんぼう)謀害して慈仁無くんば 未だ彼れを傷つくるに及ばざるも、 殃(わざわ)いを身に被(こうむ)る 俗人、悩を起こすは、是れ恕(じょ)すべし 此の事、世法にして悪行の因なるも 亦た自ら『我れ善を修せり』と言 ...
『坐禅三昧経』15「第四 思覚を治するの法門」3
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』14のつづき 問いて曰く、「云何が瞋恚覚を滅せんや」と。 答えて曰く、 「胎中より来(き)たり生じて常に苦なるも 是の中に衆生、瞋悩莫(な)し 若し瞋悩を念ぜば、慈悲滅し 慈悲・瞋悩、相い比(たぐ)いせず 汝よ、慈悲を念ぜば、瞋悩滅す 譬うるに明・闇の処を同じうせざるが如し 若し浄戒を持するも瞋恚を念ぜば 是の人、自ら法利を毀破せるなり 譬うるに、諸もろの象の水に入りて浴し 復た泥土を以て身に塗坌(ずふん)せるが如し 一切は常に老病死有りて 種種なる ...
『坐禅三昧経』14「第四 思覚を治するの法門」2
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』13のつづき 問いて曰く、「未だ道を得ずんば、結使(けっし)、未だ断だず。六つの思覚、強くして心より乱を生ず。云何が能(よ)く除かんや」と。 答えて曰く、「心に世間を厭(いと)い、能く遮するを正観せば、而ち未だ能く抜かざるも、後ち無漏道を得て、能く結使の根本を抜かん。 何をか正観と謂うや。 多欲の人の欲するを求むるを見るは苦なり 之れを得て守護するは是れも亦た苦なり 之れを失いて憂悩するも亦た大苦なり 心に欲するを得る時に満つること無きは苦なり 欲は ...
『坐禅三昧経』13「第四 思覚を治するの法門」1
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』12のつづき 第四 思覚を治するの法門 若し思覚偏多なれば、当に阿那般那三昧(あなはんなざんまい)の法門を習すべし。 三種の学人有り。 或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習するなり。 若し初めて行を習せば、当に教うべし。 言わく、「一心に数を念じて息を入れ息を出(い)だせよ。 若しくは長く、若しくは短く、数えて一より十に至れよ」と。 若し已に行を習せば、当に教うべし。 言わく、「数えて一より十に至り、息の入出に随いて、念と息と ...
『坐禅三昧経』12「第三 愚痴を治するの法門」
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』11のつづき 第三 愚痴を治するの法門 「若し愚痴なること偏多なれば、当に三種の思惟法門を学ぶべし。 或いは初めて行を習し、或いは巳に行を習し、或いは久しく行を習するなり。 若し初めて行を習せば、当に教うべし。 言わく、『生は老死に縁り、無明は行に縁る。 是くの如く思惟して外念あらしめず、外念の諸縁、之れを摂して還らしむ』と。 若し巳に行を習せば、当に教うべし。 言わく、『行は識に縁(よ)り、識は明色(みょうしき)に縁り、明色は六入(ろくにゅう)に縁 ...
『坐禅三昧経』11「第二 瞋恚を治するの法門」2
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』10のつづき 問いて曰く、 「親愛・中人、楽を得せしめらるるを願うも、怨憎の悪人、云何が隣愍して復た楽を与うるを願うや」と。 答えて曰く、 「応に彼れに楽を与うべし。 所以は何ぞ。 其の人、更に種種なる好き清浄なる法因有り。 我れ今ま云何が豈(あ)に一怨を以ての故に其の善を没すべけんや。 復た次に思惟するに、是の人、過去世の時に、或いは是れ我が親善ならん。 豈に今まの瞋を以て更に怨悪を生ぜしめんや。 我れ当に彼れを忍ぶべし。 是れ我が善利なり。 又た ...
『坐禅三昧経』10「第二 瞋恚を治するの法門」1 慈もて怨憎に及ぼせよ
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』9のつづき 第二 瞋恚を治するの法門 若し瞋恚偏多ならば、当に三種の慈心の法門を学ぶべし。 或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習するなり。 若し初めて行を習せば、当に教うべし。 言わく、「慈もて親愛に及ぼせよ。云何(いかん)が親に及ぼし、親(しん)に楽(らく)を与(あた)うるを願うや。 行ぜる者、若し種種なる身心の快楽を得、寒き時に衣を得、熱き時に涼しきを得、飢渇すれば飲食(おんじき)を得、貧賤なれば富貴を得、行、極まるの時 ...